A diary 8/28

私の経済についての最近のテーマは、「雇用と供給量を、ある程度高い一定水準で維持しよう」というものです。

 

これができれば、経済の秩序は安定し、できなければ無秩序へと遷移します。

 

雇用と供給量を維持するって言ったって、人気のない商品を作っても売れ残って在庫の山になるじゃないか、という見方もありえます。

 

それはそうなのですが、それに対する受け方としては、

 

・人気のある物を作ろう(供給する商品が何かは問わない、トータルの供給量を一定に維持する)

・人気の無い商品でも、集客できる魅力的な「売り場」があれば、売れるだろう

 

という考えを持っています。

 

供給量と、雇用が維持されるので、これは社会主義的な仕組みになります。

 

「雇用は維持されるのだから、怠けて質の悪い商品でもいいだろう」

 

と考える人もいるかもしれませんし、それが多数派かもしれませんが、それに対する策としては「管理職から怠け者を排除する」で大丈夫だと思います。

 

怠け者は(私も比較的怠け者ですが)、きっちりマニュアル通りに仕事をすることを強制して、仕事における能動性を求めないようにすればいいと思います。裁量権を与えないということですね。

 

労働者がやる気がなくても、商品の品質を高く保つためにシステマティックな仕組みを開発し、マニュアルに落とし、生産量ノルマを達成する責任を与えればいいのです。

 

やる気のある労働者は、「自分の働き具合によって、消費社会が豊かにも貧弱にもなりうる」ということをよく理解している人だろうと思います。

 

「自分が良い仕事をして、消費社会に良い影響を与えよう、役に立とう」というやりがいがあるならば、本人のスキルに合わせて裁量権を与えて、管理職とかになってもらえばいいと思います。

 

これは社会主義的な施策ですが、最適な経済システムは、生き物のようにグニグニ動くものなので、システムに名前を付けて、その名前を脳で反芻して特定のレッテルを貼る必要はありません。

 

社会主義だろうが、民主主義だろうが、名前はどうでもいいということです。

 

その時々の最適を追っていくと、ころころ変わっていくね、というだけの話です。

 

ここまで書いて、最初に書きたかったことが全く書けていないことに気づきました。

 

最初に書きたかったことは、「雇用」についてで、例えば日本では一旦キャリアからドロップアウトして、中年になると、再就職が非常に難しいということがあると思います。

 

最初に述べたように、「雇用と、供給量を高い水準で維持する」というのが大テーマですから、中高年の雇用も確保する必要があるという考えです。

 

で、今の「みんなで労働市場で競争して、落伍者は野垂れ死んでも知らない」という感じで、いきなり「中高年ドロップアウターにもやさしくしよう」が無理そうならば、

 

「失業者囲い集めて、そのメンバーで、ある程度独立・完結した経済圏を作る」方がスムーズだし、面白さもあると思います。

 

これが言いたかったのです。

 

これからは、人口増の景気拡大路線とは逆の、人口減の景気縮小路線にいくのは確定なので、その局面に合ったシステムに最適化する努力はした方がいいと思います。もしも「平和と秩序」を愛するのであれば、の話ですが。

 

総人口に見合った雇用と供給量を設定して、それを最優先で必ず維持する、という縛りで、生まれた課題解決に向けて注力する、というのがベストだと私は思います。