今日、試してみて、感触が良かった打ち方。
それは、「牌理」に沿った打ち方をするというもの。
基本的には、和了るために、不要な牌を切っていけばいいのですが、
例えば「145」から「1」を切ったとすると、「36」を待ち受けられるので、メリットあるな、という事実はあります。
しかし、切った牌があんまりみんな使わない「1」であっても、
牌の水面にしずくが落ちて波紋が生まれるように、
必ず「何かの牌を切る」ことによる影響というのは生まれます。
そして、切った牌だけでなく、自分の手牌に「666」のアンコを持っている場合でも、
「6」を三回切り飛ばしたことと同じ影響を場に与えます。
つまり、何を切ろうと、どういう選択をしようと、
「みんなの配牌」&「みんなが18回ツモった牌」すべての影響が、場に及ぼされるということです。
これは、腕とは無関係な、「不可抗力的な現実」です。
配牌から、アンコが3つある人がいるとしても、その事実は誰にも覆すことはできません。
その3つのアンコ分の影響を、みんな平等に受けざるを得ないということです。
その「現実」を正確に把握して、受け止めて、じゃあ、最もターツになりやすい牌構成はなんじゃらほい?と模索して判断して牌を捨てることが、
「牌理」に沿った打ち方の考え方だと、思っています。
この辺の考え方は、目先の利益を追って自らどんずまりに突っ込んでいく人にも通用します。
大体の、目先の利益を取ってばかりの人は、「自分の選択」が良いものだと思っています。
なぜなら、その選択によって、利益を享受できるからです。
得するならやって当たり前。逆にそうしないのはバカだ、みたいな考え。
この発想の欠陥は、「その選択をして取る行動そのもの」に意味が発生するということを見落としていることです。
例えば、「恐ろしい相手を殴って無力化する」という行動を選択した場合、
成功すれば、脅威は無くなるわけですから、メリットがあるわけです。
しかし、「相手を殴った」という行動を取った事実そのものが、環境に刻まれ、波紋のような影響が生まれます。
「あぁ、あの人は、気に入らない奴は力で押さえ込むやり方を選択するんだ」
「危険な奴だな、マークして、近いうちに力を削いでおこう」
あるいは、
「あの人怖い、あんまり関わりたくない」
「あの人に表面上従っていれば、利用してその威を借りることができそうだぞ」
「すぐ殴る奴がいるから、法律って大事だな」
みたいな、色んな影響がぶわ~と広がるのです。
それを考慮すると「殴って確保したメリット」が吹き飛ぶほどの、将来的なデメリットが降ってきたりするのです。
これを避けるためには、月並みですが、自分の行動を客観視すると、
「自分がこの行動を取ったら、環境すべてに対して、どのような影響が出るだろうか?」
と計算して、「実質的にメリットのある行動」「実質的にデメリットの無い行動」というものを精度高く取っていくことができます。
私は「利益最大化ゲーム」を忌み嫌っているのですが、その理由は、
その行動自体が、環境のバランスを崩す、つまり秩序を乱す行動に該当する確率が9割9分になるからです。
わかってて、バランス崩しにいくなら、まぁいいですけど。
環境のバランス崩して、メリットを得るケースというのは、ほぼ無いですよ。
例えば、そもそも環境自体がアンバランスであったならば、
人間社会自体が大きく偏っているのならば、
それを是正するためのカウンターとして、極端な行動を取るのは正着になりえますが、
そういうケース以外で、単に「自分がメリットを得る目的で」「秩序を乱す」のは、害悪にしかなりません。
害悪は、将来的に、排除されます。環境によって殺されるということですね。
だから、そういうことは止めた方がいいと思います。
もしも自分の身が可愛いならば、の前提の上でのことですが。