自民党の安部派・清和政策研究会の幹部議員のコメントを報じるヤフーニュースを見て、コメントは大体「議員失格」という内容であふれていました。
そもそも保守政治の考え方は、「歴史上、使用が認められたことのある手段のみで戦う」「理性的な自由意志を否定し、変化を好まない」傾向があると思います。
柔らかい感情を源泉とし、それでいて硬化し「権力」を実現するためには、そうするのが自然なんだろうと思います。
なので、20年前から、キックバックしてきたのなら、「その手段は認められていると認識して」「そのまま変化しない」のですから、自民党議員にとっては、「正着だった」という認識でしょう。
それで、今の逆境ですから、「自分が誤っていたからこうなっている」という認識ではなく、「自分は正しいことを積み重ねてきたけど、逆風・試練を受けている」って感じだと思います。
なので、まぁ、私の感想を言えば「自民党議員も、そこまで否定されるようなことはしてないな」と思うのです。自然な流れで、不可抗力的に、そうなっている。
そもそもの話をします。
そもそも、まず、太平洋戦争は、未だ終わっていないです。
その残滓が、戦後日本の輝かしい復興劇、高度経済成長であり、「輝かしい余韻」が、現代日本の礎になっていると、私は思っています。
戦争の生き残り、戦争敗北の絶望と、急激な方針転換の不信の環境の中で、おそらく、誰かが「手当しないとやばいな」という判断があったんでしょう。
生き残った日本人たちは、何らかのテコ入れを受けて、活き活きと輝くように生きた。
昭和は良い時代だった。それはそれで、ひとつの歴史上の物語なので、賞賛したいと思います。私もその恩恵を受けて生きていますし。
ただ、客観的に評価すると、「戦争の余韻」なので、スタートからして、ほぼ死に体なんだと思いますよ。
「何かをやりきる力」とか「強い意志」とか、それらはすべて戦死で消滅でしょう。
「戦争の余韻」が、世界第二位の経済大国になるまでの勢いを得た。これは奇跡のようですが、この奇跡が永続的に続くことはあまり期待できません。
規定路線通りに、奢り、調子に乗って、アメリカにぶったたかれるという必然を受けて、今の経済危機状況。
これらの一連の流れを見て、改めて今の政治家さんたちの動きを見ると
「まぁ、そうなるでしょうな。そんなに悪くはなかった」という印象を受けます。
こういう言い方をすると非情のようですが、
「仮に、今の政治家さんたちが、能力的に不足しているとしても」
「寿命で亡くなってオートマチックに人材の新陳代謝はするのだから」
「それを待てばいいんじゃないでしょうか」。
この、瀬戸際で、ワイワイ、石を投げてもなぁと思います。
投石の駆け込み需要みたいな、バーゲンセールみたいな絵図。
「今までよくがんばりました。では、次の者たちがバトンを受け取ります。充実した余生をお過ごしください」
パチパチパチ
で、いいんじゃないか、と個人的には思います。
こちとら、AIとの戦いがあるので、あんまりしょうもない言い合い、批判投げとか、やる気がないんですよね。
ただ、国民の中では生活に困っている人は多いと思うので、政治に厳しい目を向けるのも、理解できます。
私としては、「スムーズに流れていってくれればいいや」と思っています。