8番出口というゲーム

Youtubeツイッター(X)によく「8番出口」というゲームの動画や話題が出てきます。

 

ゲーム実況の人の動画を見て、どういうゲームなのか理解しました。

 

ゲーム内容は・・・

 

「日本のリアルな地下鉄駅の通路がループしていて」

 

「異変を見つけたら引き返す、異変がなかったらそのまま進んでいき」

 

「上記の行動が正解だと、出口表示が0から8までカウントアップされ」

 

「カウントが『8番出口』になったときに出口を出ればゲームクリア」

 

この異変が、ちょっと怖い異変(瓜二つの男性2人が突然通路に立ちはだかっているとか)が多くて、ホラーゲームみたいでした。

 

恐怖が湧き上がる構造とは、「当たり前の日常、普通のこと」という基盤があってこそで、そこを崩すと、「怖い」と思うようです。(例えば多くの幽霊が町中を闊歩している環境が日常であるならば、幽霊は怖くないように)

 

このゲーム自体は、あんまり興味が湧かなかったのですが、

 

ツイッター(X)に、リアルの駅の長い通路の写真をアップして『「8番出口」みたいだ』と盛り上がってるのを見たときは、面白いなぁと思いました。

 

普通というか、素直な人ならば

「このゲーム、グラフィックがリアルだなぁ」で終わるんですが、

 

ツイッター(X)では

①「このゲーム、グラフィックがリアルだなぁ」

②「リアルの通路が、ゲームと似てるなぁ」

③「リアルの通路と見比べると、ゲームの質の高さにより感動できるなぁ」

 

という、「ゲーム」と「リアル」間のややこしい認知の往復が走ってるんですよね。

 

起原説を言えば、リアルの方がゲームより先で優れているのは明らかなのに、

 

「ゲームを楽しむために、リアルを消費している」みたいな優劣逆転が起こっている点に、

 

「現実への忌避」と、「虚構(ゲーム)への信仰」のミックスを感じ取った次第です。

 

私としては、ゲームの楽しみ方は

 

①基本「所詮、ゲーム、偽物だろ」という先入観をもって、

②「ゲームなのに、ゲームのくせに」この臨場感、リアル感、世界観への没入はすごい!

 

という感動の仕方、はまり方をします。

 

ファミコンドラクエ4とか、今やってるトラック運転ゲームとか、そうですね。

 

「ゲームの方がリアルより優位だろ」というのは危ういですが、やり方はどうあれ、楽しんでるなら、まぁいいかと思いました。