私は「投資」について、よくわかっていません。
なので、例えば日本だけで無く世界の哲学者さんたちに、「投資について語って欲しい」と思っています。
「知的に優れている人が」「投資について語ること」が生産的だ、という意味ではなく、
単純に、私が知りたくて情報収集したいという意味です。
投資というと、私なんかはギャンブル的な側面が大きいという印象を持つのですが、
一方で、「投資はギャンブルではない」という言説も多くみかけます。
いや、
・「未来予測における不確定要素があって」
・その前提で「儲けを得よう」という行動は
すべてギャンブルだろうと、私は思っています。
よく、投資をしている人が
「例えば資産のすべてを円預金で持っていて」
「為替が円安に傾けば」
「資産が目減りするでしょう」
→
「それ(資産減少)を防衛するために、適切な投資行動を取るのは当たり前です」
みたいなことを言っているのですが・・・
よくわかっていない素人の私が思うに、
「円で持っている資産」を「なぜ外貨で換算して測るのか?」という疑問が湧きます。
「円で1000万円預金があって、円安の影響を受けて、米ドル換算したら、減ってるね」
これを
「資産が目減りしている」という解釈は、なんかおかしいと思います。
私の解釈では、
「そりゃ円安傾向なんだからドル換算したら減るに決まってるじゃん」
「それで何か問題がありますか?」
という感じになります。
仮に、ハイパーインフレなんかが起こっても、「資産の増減」という観点でいうと、資産は全く減ってないですよね。
買い物をするときに大量の札束を用意しなくちゃいけない弊害はありますが。
ハイパーインフレの問題というのは、
・国の経済の力やその信用が落ちたりして、国際競争力がガクンと落ちる(落ちていると見なされる)
→
それによって、外国で買い物するときに、めっちゃたくさんの自国貨幣がかかる
ということでしょう。
なので、
「円安で、ドル換算したら資産が減った」
という事実に対して適切なアクションとは
✖「外貨も持って、資産の目減りを防ごう」ではなく
○「日本の国際競争力を強化して、円の力と信用を強くしよう」
ですよね。
そもそも、
「自国の競争力が落ちているのに(自国通貨安なのに)」
「その国の個人の資産が目減りしなくて当然、減るのは異常事態だ」
と思うのは、私目線では「なんか変わったゲームしてるな」という印象を持ちます。
これが、「グローバル経済」というものなのでしょうか?
「あなたは無国籍で、世界を股にかける放浪の大商人なんですか?」
という質問をしてみたいです。
もしも無国籍で世界を股にかける放浪の大商人なら、
「円安で、円預金の価値が目減りしちゃうから、外貨持たなくっちゃ」
というのは私も納得できます。
でも、大体の人が、ちゃんと国に所属してる、個人(経済に詳しい)ですよね。
日本人なら、きっちり、日本の競争力上げるような投資行動取るだけじゃないですかね。
その選択以外にあるんでしょうか?
で、投資ってけっこう広い意味なので、
例えば「朝食に卵かけご飯食べる」という行動も、「自己投資」ですよね。
そして、「お米と卵と醤油をスーパーで買うのも」「生産者と小売り業者への投資」です。
もちろん「企業の株への投資」も投資です。
これらを「投資」という言葉で一括りにして、概念体系を捉えるのは、けっこう難しいです。
「これらの投資を、一括りにする」というスタートラインに着く時点で、誤りを含んでいるかも知れません。
だって「卵かけご飯を食べる」行動と、「パソコンに張り付いてチャートとにらめっこ」
は、明らかに別種の行動に見えるからです。
「パソコンに張り付いてチャートとにらめっこ」しなくても、人は生きていけますし。
他者(企業)に投資しないで、自己投資に全振りしても、全く問題はありません。
ただ、企業に対しては「誰かが投資しなきゃいけない」とは思うので、
まぁ、その役割を担ってきたのが銀行だと思うのですが、
グローバル経済界における投資家-流浪の大商人-が大量発生したため、
なぜか「積極的に他者に投資しよう」という「おせっかい野郎ども」が増えているという見方を私はしています。
ここまでの論調は、つまり、「流浪の大商人」への責任追及になっているのですが、
大きな局面で観ると、資本主義ってそうなるのが必然かもしれない
つまり、「個々人の責任能力では回避できない状況なのかもしれない」
とも思うので、
あんまりディスる意図はないのですが、
あんまり宙に浮いてる金の流れを追うよりも、
自分の国の地べたの土に足をつけて、自己投資をするか、もし他者へ投資するならば、自国の競争力が上がるような投資をするくらいの
そんなに盛り上がるようなゲームではないのではないでしょうか?
という一石を投じる意図での日記でした。
誰かに「投資とは何か?」について大いに語ってもらいたいという希望は、常に持っています。(他力本願)
おわり