ツイッターでとても興味深いポストを見ました。
それは算数に関するポストで、内容は
・タコの足が8本で、タコが4匹いるときの足の合計本数を計算するとき
・4×8でも8×4でも、決してタコの足が4本になったりはしない
・事実として、タコの足は8本。これがわからない人はタコを知らないのでしょう。
みたいなポストでした。
言い方が、おもしろいですよね。他責的(論点を「タコの足」にフォーカスしての責任逃れ)で。
要点は、
「かけ算の前者と後者の順番を逆にしても、算数的には同じ事」ってことなんでしょうけど。
このツイートの返信欄を見ると、
「4(匹)×8(1匹当たりの本数)」とみなせば、
4×8も、8×4も、全く同じ。これなら誰だってわかるだろう。ってありました。
なるほど~しかし、私のような根本を疑うのが趣味の人間は、まだまだあきらめません。
面白いことを言うと、
私(文系)「4×8と、8×4の答えが同じ32になるのって、たまたまじゃないんですか?」
理系の人「たまたまなわけないでしょう。事実として・・・
『4(匹)×8(1匹当たり本数)』と『8(1匹当たり本数)×4(匹)』は
共に32本で、これは等しい」
私(文系)「たまたま同じものを、同じだと思ってるだけでは?」
理系の人「はい?」
私(文系)「では、4本の足を持つ生物A8匹の合計本数と、8本の足を持つ生物B4匹の合計本数は同じですか?」
理系の人「どちらも32本で合ってるでしょう。足の合計本数は等しい」
私(文系)「生物Aの合計本数32本と、生物Bの合計本数32本は、等しいんですか?」
理系の人「等しいでしょう。同じ『32』本です。」
私(文系)「では『生物Aの足が合計32本あること』と、『生物Bの足が合計32本あること』は、同じことですか?」
理系の人「それは・・・違いますよ。ただ、『合計本数』は、同じということです」
私(文系)「それって、『たまたま』じゃないんですか?」
理系の人「たまたまかどうかは知りませんが、問題を設定した時点で、生物Aと生物Bの合計本数が同じ32本であることは決定されるということです」
私(文系)「では、たまたま同じだっていう可能性は排除不可能ですよね?」
理系の人「『可能性は排除できない』というよりも、それについては『言及していない』ということです」
私(文系)「では、常に『生物Aの足の合計本数』と『生物Bの足の合計本数』が決定されるわけではない」ということですね?」
理系の人「それは当たり前です。合計本数が同じになる場合もあれば、異なる場合もあります」
私(文系)「なるほど、つまり、『計算可能な場合のみ、計算できる』という理解で合ってますか?」
理系の人「・・・」
私(文系)「つまり、『計算不可能な場合は、計算できない』ということ」
理系の人「・・・それは、そうです」
私(文系)「ちなみに、『ニンジンが4本と、大根が4本』は、『同じ4本』ですか?」
理系の人「本数については、同じ4本です」
私(文系)「では、『ニンジンが4本と、大根が4本』は、『同じ』ですか?」
理系の人「それは違います。『本数が同じ』ということです」
私(文系)「ニンジンと大根は違いますもんね。違うもの同志でも、『4本』という同じ要素がある」
理系の人「そうです」
私(文系)「それって、『誰』が『どのように』判断しているんですか?」
理系の人「それは、『人間』が・・・『見た感じ』で・・・」
私(文系)「『見た感じ』とは、『フィーリング』ですか?」
理系の人「誰が見たってそうでしょう。人類共通、『本数』という要素は認知できます」
私(文系)「どこかの惑星の宇宙人も、そう認知していると思いますか?」
理系の人「それは知りませんし想定していません」
私(文系)「人類共通なら、そのルールでいこうってことですか?」
理系の人「まぁ・・・そうですね」
私(文系)「告白しますが、実は私、ニンジンの4本と、大根の4本って、『本数が同じ4本」だとは思っていないんですよ。私は地球人ですけど」
理系の人「本数は4本で同じでしょう」
私(文系)「違いますね。ニンジンの『4本』と、大根の『4本』は違うと思っています」
理系の人「あなたがそう思うのは自由ですが、あなた以外の人はみんな「同じ4本」だとおもっていますよ」
私(文系)「そうかな、違うと思うけどなぁ・・・(しょんぼり)」
おわり