過去の自分の日記を読んで、変な角度の思考に「ん?」と思った繋がりで、
YoutubeのAbemaTV切り抜きを見たのを思い出しました。
何でも、灘高校史上最強の天才と言われる、岡田さんという方(現在は研究員)がゲストで、
その動画の中で「なぜ神様は人間のような燃費の悪い生物を作ったのか?」ということを言っていました。
これに、私は「ん?」と思ったのです。
「なぜそういう問いになる?」という違和感で、過去の自分に感じた違和感と同じようなものです。
頭に浮かんだのは、「じゃあ、岡田さんは、仮に人間が燃費が良かったら腑に落ちるんだろうか?」という疑問です。
違和感の正体は、
神様とかいう得体の知れない対象に対して、「自分の物差し」を当てて、「測れる」と思っていることです。
これは、岡田さんに限らず、なんか科学をやっている人に共通するのですが、「未知のものは、既知のパーツの組み合わせで理解できる」という前提があるようです。
これは、私にとっては常識じゃないんですよね。
たぶん、おかしなことやってるのはわかってるんだろうけど、「そうするしかない」or「そうしたい」からやっているんだと思います。
私は哲学チックなアプローチが好きなので、
「なぜ神様は人間のような燃費の悪い生物を作ったのか?」
という問いではなく、
「なぜ人間は、燃費の良いものを優れていると思い込んでいるんだろうか?」
あるいは
「なぜ神様は、人間に、『燃費が良い方が優れている』と思い込ませているんだろうか?」
という問いの方が、有意義だと感じます。
例えば、
テレビ画面の中のスーパーマリオが・・・
「なぜ人間はブロックをパンチして、スターを取らないのだろうか?」
という疑問を持ったら、「えっ?」ってなりますよね。
マリオの中では、スター取れば無敵になるんだから、取るに決まってるんです。常識です。
でも、我々人間はスターを取りませんよね。
取りたくても、無いから取れないんですけど。
人間目線では「そりゃスター取れたら取りたいけど、そんなの無理だから」という回答になります。
じゃあ、なぜマリオはスターが取れるのか?
その答えは、「人間(神様)が、マリオにスターを取って無敵になって欲しかったから」でしょう。
この答えを、燃費問題に当てはめると、
「なぜ人間は燃費がいいものを優れていると思っているのか?」に対する答えとしては
「神様が、人間に燃費の良さを追求する世界観に浸って欲しかったから」ではないでしょうか。
でも、
「そりゃ自分(神様)も燃費の良さを追い求めたいけど、そんなの無理だから」
というのが、実際の所なんじゃないかと思います。
自分の既知の物差しを当てて、すべてを測ろう、取り込もうという試みをするのは、
さすが人間、神の子だなぁと思いました。
私は普通に、未知の物差しを探しに行きます。