日記に何書こうかな、と思って、ふと2016年の自分の日記を見てみました。
読んでみると、よく意味のわからないことを書いています。
全く意味不明ではないのですが、視点の角度がちょっと謎です。
モヤモヤとした心的現象に対して、手持ちのロジックパーツをはめ込んでどうにか理解できないか、という試みをしていました。
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タイトル「幸福について考えてみた2」
(前略)
つまり、パチンコ依存症の人は「持ち金が減っても構わないから快感が欲しい」という価値観を持っているのです。
普通の人は、「持ち金が減っても構わない」とは思いません。
この「構わない」と思えることは、ある意味、「強さ」だと思います。
普通の人が払えない犠牲を、払うことができるという強さです。
言い換えると「資本力がある」ということです。
幸せになるためには、何らかの犠牲(コスト)を払う必要があります。
もしも他の人にとって「価値があり」、かつ、その人にとって「どうでもいい」ものを犠牲として払うことができたら、その人にとって丸儲けです。
そのいびつな価値観そのものが、幸福になるための大きな資本力となります。
(中略)
「パチンコ依存症」の戦術とは、
自分にとって価値のないものを大きく犠牲にして(資本力をつけて)
自分にとって価値のあるものを集中して獲得する、というものです。
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うーん、「そこが気になっているのかぁ」という感じで、なんか初々しい感じがします。
何回も読んでいたら、7、8年前の自分で書いたことなので、言ってることはわかるようになりました。
年齢にしたら、34歳くらいか。
今は、どうなのかというと、あんまり成長はしていませんね。
素材は大して変わってない、強いて言うなら、少ししなやかになっているけど、
この初々しい持論を発表している34歳と今の私はほとんど同じです。
ただし、環境が違いますね。物質的、心理的、情報的に状況が違う。
環境との、マッチ具合で言うと、現在の方が洗練されている感じがします。
つまり、本人は何も変わらなくても、衣装(環境)が変われば、すごい進歩しているように演出できるということです。
私は、地球環境を、一例としか扱っていません。苔のむすまで居座るつもりがないからです。
女性とかは、「地球で楽しむぞ~♫」と意気揚々としていると思いますし、それはそれでいいと思うのですが、
私は、とにかくフィールドを広く使いたいので(生物としてそういう戦略なので)、地球じゃなくても、火星でも、どこでも、対応できるようにしたいし、準備をしている最中です。
なので、私の素材と、マッチしない環境ではダメ男になるし、
マッチする環境では、花開いたりするでしょう。
その結果部分・・・「見え方(演出され具合)」には、本質的にはこだわっていません。
マッチしているからといって、喜ぶべきではないし、
マッチしていないからといって、腐る必要もないのです。
ただ、すべてに対応できたら、かなり強いので、
その強さを追求するかどうかも含めて、やはり精度高くジャッジしていく、ジャッジし続ける、という旅になりそうです。
ジャッジだけでなく、手も動かさないといけないかもしれませんね。
こういう、針の穴に糸を通すような、厳格なコントロールを追求している風に語っておきながら、
頭の中は「のんびりダラダラしたいなぁ」とか思っているので、
メリハリを付けてやっていこうと思います。
この日記を5年後くらいに見返したら、どういうことになるのか楽しみです。
タイムカプセルですね。