娯楽性日記 8/8

価値の逆転性というのは、本腰を入れて体系的に把握すると現代の文明社会において有用かもしれません。

 

今回のテーマも「価値の逆転性」について書きます。

 

大分前にネット上のコラムか何かで「大事なことは何度も繰り返し伝えると良い」みたいなことが書いてあったので、これを何回も言ってみようと思いました。

 

価値の逆転性は構造的にはシンプルです。

 

「必要な情報が遮断されているので」

「その価値の正負の分水嶺が把握できずに」

「人が誤った価値判断を行ってしまう」

 

というだけの構造です。この構造を知識として持って使用できれば、応用も可能になります。応用とは、「観測されるあらゆる現象に対して、この構造を見いだし適用できる」ということです。

 

例えば・・・

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ある公園で、小さい子供たちがサッカーで遊んでいました。

 

子供の親たちは、それを眺めて、「上手い!」とか「ほらもっとがんばれ!」とか応援して、楽しんでいました。

 

子供たちは、将来プロサッカー選手になるのが夢で、一生懸命ボールを追いかけていました。

 

あまりに夢中になるあまりに、走っていた子供が、公園の外に飛び出しました。

 

飛び出した子供は、車道に出てしまい、通る車に危うくひかれそうになりました。

 

その子供の親はびっくりして、あわてて駆けよりました。

 

親「けがはない?大丈夫!?道路に飛び出したりしちゃダメじゃない!」

 

子供は、車にひかれかけた恐怖と、叱られたことで、泣いてしまいました。

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このシーンにおいて、もしも自分が「子供」だったらと考えるします。

 

公園で、サッカーを一生懸命やっている時は、親は機嫌がよかったです。

 

でも、一生懸命やってただけなのに、怖い目に遭い、親にも怒られ、散々でした。

 

この後、あなた(子供)はどのような価値判断をするでしょうか?

 

<選択肢>

・サッカーを一生懸命がんばることは間違っている

・サッカーを一生懸命がんばることは間違っていない

・サッカーをやってもいいが、一生懸命がんばりすぎるのは間違っている(プロサッカー選手を目指すべきではない)

 

どれかの価値判断をするでしょうか。いずれもちょっと的外れですね。

 

この場合の、子供にとっての正解は

「サッカーをやってもいいが、公園の中で安全に遊ぶのがいい(プロサッカー選手を目指してもいい)」

 

ですね。

 

この構造を、資本主義にも当てはめてみましょう。

 

<選択肢>

・資本主義で一生懸命がんばることは間違っている

・資本主義で一生懸命がんばることは間違っていない

・資本主義を用いるのはいいが、一生懸命がんばるのは間違っている(事業成功者を目指すべきではない)

 

どの価値判断が正しいでしょうか。いずれも的外れでしょうか?

 

正解はなんでしょうか?この問いは難しいですが、

 

先ほどのサッカーの例と同類型であると仮定するならば、

 

「資本主義を用いてもいいが、地球の中で安全に活動した方がいい(事業成功者を目指してもいい)」

 

が正解になりますね。

 

ただし、サッカーの例と同類であるという保証はどこにもないので、結局、正解は不明です。

 

おそらく言えることは、「時と場合と場所によって、正解は変わる」ということです。

 

つまり、価値の正負の分水嶺の(隠された)情報が把握できないと、正確な価値判断は不可能である、というのが価値の逆転性のトラップです。

 

価値の正負の分水嶺が、固定であるという保証もありません。

 

つまり、価値の基準も、常に変動する部分がある可能性があります。

 

固定された価値基準、というのは、もしあるとすれば「たまたま」か、「奇跡」か、どっちかだと私は思っています。

 

万物流転説の方が信頼できるし、それに対応できる能力は身につけたいです。