おじさんの定義とは

よく、Z世代の人がおじさんに向かって「おじさん」という呼称をするのですが(当たり前)、それが気になっています。

 

なぜかというと、私もおじさんの部類なので、ドキッとするのです。

 

おじいちゃんではない、40歳くらい以上の男性をくるっとグルーピングして、「お前らは自分たち若者とは違う人種だ」という差別的なニュアンスを感じるからです。

 

気になるのは、彼らが言う「おじさん」の定義とは、「年齢が中年」なのか、それとも「現時点での、中年世代」を意味しているのかというところです。

 

というのも、今、若者の男性(Z世代)でも、20年くらいしたらどうしたっておじさんになるわけで、

 

そういう意味で「新鮮じゃない中古品」みたいなニュアンスで「おじさん」と言っているのであれば、まぁ、差別ではないですね。

 

若さの価値に頼りすぎてる感はありますが(若さ以外のアイデンティティを見いだせていない?)、それならまぁまぁフェアでしょう。

 

一方、「現時点での、中年世代」を指して「おじさん」と言っているのであれば、

 

現代日本の世相から言って、「失われた30年間」「それによる長期見通しの経済不況」を作り出した、あるいは、それを放置した戦犯としてグルーピングしているのであれば、これは差別で、やだなぁと思います。

 

「おじさん」の差別的意味としては、経済面だけではなく、絵文字付きのセクハラメールなどに象徴される、「利己的で、欲を満たすために他人に不快感を与えることに躊躇いがない」「周囲の人を平等に思い遣る仲間意識が欠けている」という側面でも、「おじさんはどうしようもねぇな」という評価をしているような気がします。

 

多分、後者でしょうね。やだなぁ。

 

私は、セクハラは悪いことだと認識していますが、けっこう利己的なので、「うわっ私も『おじさん』じゃん!」とビビってしまいます。

 

「『おじさん』でごめんなさい!ごめんなさい!」という気持ちになります。

 

ここで、「おじさん」差別をしている、若い人に聞いてみたい質問が2つあります。

 

Q:若者は、一蓮托生ですか?

 

この質問は、「おじさん」をグルーピングすると必然的に生まれる「NOTおじさん」つまり、「若者」グループの団結力を試しています。

 

A(例):いやぁ、若者だからって、色々だし、悪い奴もいるし、一蓮托生ではないっすね。

 

てところが自然かなぁと思います。

 

それなら、私はこう言います。

 

「おじさん」にも、色々いるんじゃないかな?ひとりひとりを見て、「こいつは合格」「こいつは不合格」って、個人毎に判断した方が良いと思うよ。

 

人を見て、都度合否を判断するのは、手間かかるし、えらく強い権限持ってるなぁと思いますが、大体こういう答えは受け入れられてもらえそうな気がします。

 

もうひとつの質問は以下です。

 

Q:もし「おじさん」全員を一瞬で消せるボタンがあって、それを押しても罪や責任を問われないとしたら、あなたは押しますか?

 

これはどう答えるでしょうかね。

 

A(例):いやぁ、全員消そうとまでは思ってないけど、おじさん達には、できれば努力して、社会全体のためになるような行動を取って欲しいなと思います。

 

ってところが自然な回答でしょうか。

 

これなら、「おじさん」側が歩み寄って、行動を改善するなりすれば問題解決しそうな希望が見えてきますね。

 

A(例):あー・・・多分押しますね。自分の生活が本当にやばくなってムカついてきたら、押すと思います。

 

こちらの回答もリアルにありそうですね(だから怖い)。

 

まぁ、ボタンを押すなら押すで、消してもいいと思いますけど、

 

消した後は、「自分(達)でなんとかしなきゃいけなくなる」ってのは受けて欲しいですね。

 

そう

 

結局、「おじさん」がどんなにゴブリンみたいに低俗なモンスターであっても、そのおじさんがめちゃくちゃ足を引っ張ってきて、100%悪であったとしても、

 

「自分がやることやらないと」上手くいかないという条件は、常に不変なわけです。

 

その辺を押さえておけば、「『おじさん』は無視(戦力外扱い)して、自分のことをちゃんとやれるようにしよう」と意識の切り替えができると思います。

 

ボタンの質問は、この事実を明確にするための質問でした。

 

ということを、ニートのおじさんが日記に書いているということです。

 

おわり