社会に出るということ

Youtubeで、代々木ゼミナールの講師で数学ヤクザと言われている(いた?)萩野さんという方の動画を見ていました。

 

だらしない生徒(遅刻する、授業1回飛ばして次の授業に出てくる)に対しても、「オレは生徒を客だとは思っていない、この仕事をしている原動力は愛だ、だらしない奴は授業に来るな!」と厳しく説教している動画でした。

 

この動画を見た感想は、おぉユニークな感じで授業をしているんだな、と思って面白いと思いました。

 

普通は、塾の講師は、受験に受かるために必要な情報を教えるだけだと思いますが、

 

「生徒は今はお金を払っているから、お客さん気分かもしれないが、社会に出て、給料もらうようになったら、まったく別世界だぞ!(だからオレはお前達を叱っているんだ)」といったような、「まともな社会人として必要なこと」を伝えていて、それが萩野さんの愛なんだなぁと思いました。

 

で、興味深かったのが、コメント欄で、「社会に出たらよくわかること」「それを教えてくれるのは親切な講師」という賛辞がたくさんありました。

 

ん・・・私は、派遣社員とか、パートで仕事をしていたことはあるので、一応社会に出た人ですが、「社会って別世界だったの?」と驚きでした。

 

というのも、けっこうマイペースで素でやっていたので、特に職場だからって、何かを演じたり、自分を厳しく律したりする経験がないのです。

 

やっぱり、正社員は違うのかなぁ。私は最初の勤務先は会計事務所で、一応正社員でしたが、個人の零細事務所(従業員3~4人)だったので、普通の会社のことがよくわかりません。その事務所も1年6ヶ月くらいで止めちゃったし。

 

なんでも、一般的な会社では、「仕事が人並みにできないと」「周りから無視されたり、まともに相手にされない」といった冷遇を受けるそうです。

 

私は、なんでそんなことするんだろうと不思議に思います。

 

できない人がいたら、できるように教育するだけで済むのにな、と思うからです。

 

社会では、「立場」「地位」「ポジション」「席」を、椅子取りゲームのように、しのぎを削って努力して競争して獲得して、やっと普通の生活ができる、というルールのようです。

 

だからこそ、「仕事ができない人」=「落伍者候補」は、どんどん落伍してください、そんな奴を救うなんて甘すぎる、そんなことしてたらルール上、自分の立場が守れない、という感じなんだと思います。

 

私はちょっと違和感あるんですけど、

 

仮に「XXX」という業務をこなすのが、優秀なAさんでも、普通のBさんでも、どんくさいCさんでも、誰でも良いと思うんですけど。会社的にはですよ。

 

「XXX」をやるのはAさんじゃなきゃだめだ!という概念は、経営上は不要なものです。

 

Aさん視点では「私が『XXX』をやるポジションを獲得するんだ!」と思っているかもしれませんが、別に業務ができるならばBさんでもCさんでもその辺のダンゴムシでもいいわけです。もし、できるならば。

 

だから、「あー、Cさん上手くできなくてミスばっかりなのか」と判明したら、

 

ちょちょっとレクチャーして、ミスのないようにすればいいだけですよね。

 

そういうルールじゃないってことは、

 

Cさんでは無理なような、そんな難しい仕事がこの世にあるんだなぁ、ということなんでしょうね。

 

例えば、お菓子会社が、新商品を開発する、とか。

 

これは、創造性とか、商品の売り方とか、誰でもできることではありません。そういう仕事は、優秀なAさんにしか務まらないかもしれませんね。

 

でも、私の理解では、会社の仕事の8割は誰にでもできるような簡単なものだと思っていました。

 

これが、事実と違うのかもしれません。

 

思えば、マクドナルドの接客とかでも、簡単ではないですね。

 

ただ、事務方仕事は、大体、誰にでもできそうな気がするんですけどね。

 

やっぱり正社員やってない私には、知らない世界があるようです。

 

椅子取りゲームにはあんまり興味ないので、収まるところに収まったって感じがします。

 

多分、正社員としてがんばっても、自分の席を得るために努力するモチベーションがないので無理でしょうね。

 

路上に野垂れ死にと、紙一重で、たまたま生きてる感じです。