苦しみへの対応メソッドの体系

ヤフーニュースで、地震発生から124時間ぶりに、高齢女性が脈のある状態で救出された、という記事を見ました。

 

この寒い冬において奇跡に近いことで、ご本人も、救出した現場関係者さんたちも、よくがんばったなぁと思います。すごい!

 

ただ、救出されても、家屋などは破壊されているし、周辺地域も瀕死状態なので、「ここからがまた大変になる」という試練となっています。

 

ということで、すべての人を対象として「苦しみへの対応メソッドの体系」というタイトルで、書いていこうと思います。

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まず、苦しみへの対応については、あまりバリエーションがありません。指折って数えるほどしかないということです。

 

それだけ単純な話ですが、実際に身体や脳内で何が起こっているかは非常に複雑で、把握しにくいため、それは私もよく知りません。

 

一人称視点で、「苦しいときどうするか」の方向付けとして、解像度が上がっていると、すんなり対応できる(やるべきことが明確になる)と思うので、以下にメソッドを列挙していきます。

 

<苦しみを感じたらどうするか>

①幸福感で返していく

企業がコストを払って、売り上げを立て、利益を出すように、苦しいときに幸福感をカウンターで合わせて、大丈夫にする、という方針です。

 

①-A 直接的に幸福感で返していく

例えば、好奇心。

人間関係で苦しい、でも勉強や研究をして未知の発見があると嬉しい、というように「確実に売り上げが立つ」という枠の中で、なんとかするやり方です。

 

「自分がこれが好きだ」「これをやると必ず楽しい」というジャンルがあるならば、このメソッドは使いやすいです。

 

①-B 間接的に幸福感で返していく

例えば、恐怖心。

ユダヤ人は、常に、「迫害されるのではないか?」「民族浄化されるのではないか?」という恐怖心を抱えていると推測されます。

 

それにカウンターを入れて、めちゃくちゃ知恵を付けていくという戦略を取ると、その積み重ねた知恵(他者に対する優位性)を利用して、行動することによって、結果的に安心感を得ることができます。

 

②苦しみを糧にして、努力する

例えば、コンプレックス(劣等感)。

いじめられて、自分はダメだという強い固定観念がある場合、「その苦しみから逃げたい強い気持ち」をエンジンにして、努力するというやり方です。

 

これは、非常に強い一手です。強くなりたい方にはおすすめします。

 

考え方としては、「苦しんでいる自分」を犠牲と見なした場合、ただの「無駄死に」にすることなく、それを「きっちり有効活用する」という志向です。

 

注意点としては、このやり方で成功体験を得た場合、そこに再現性を求めて、「じゃあもっと犠牲を払おう」とか「もっとたくさんの他者を犠牲にしよう」とか、危険な暴走をする可能性があることです。

 

取り扱い注意ですが、これが誰もできないケースというのは、「無駄死に」が大量発生するということになるので、社会的には誰かがやらなきゃいけないことです。

 

個人が、安全な範囲で、やることについては私は特におすすめします。

 

③共感して苦しみを薄める

この辺は私は苦手ですが、おそらくコミュニケーション能力の高い日本人の方の多くは習得されていると思います。

 

これは、「うっすらとした不安感」に対しては、とても効果的で、社会的心理のセーフティネットといっても過言ではないと思います。

 

ただ、「めちゃくちゃ突出した不安感」を強制共感した場合は、「暴力」として出現するケースが多く、万能であると過信するのはできません。

 

「共感はできた方が良いけど、共感で何でも解決できるわけではない」という位置づけだと思います。

 

④俯瞰して逃げる

感情と理性の領域は、相互に情報のやり取りはありますが、それぞれ物理的な囲いで独立しています。

 

その独立性を利用して、俯瞰して、理性側に逃げる(理性一人称になる)ことによって、苦しみから一部退避することができます。

 

人間にとっての、俯瞰の第一義は、逃げです。

 

次点に、情報収集です。情報収集して策を練ったら、現場(地上)に戻ることをおすすめします。

 

⑤ただただ、苦しむ

これは、一見無策のようですが、かなり大事なことです。

 

「苦しみへの対応」としてはゼロなんですが、「きっちり苦しむ」ということは、「きっちり仕事をしている」という解釈を私はしています。

 

今、能登で、劣悪な環境で耐え忍んでいる避難民の方々は、おそらく日本中で最も仕事をしています。

 

「苦しんでいるということは」「自分が劣っているということだ」という認識は、

 

おそらく感情を大事にしている人ならば共通認識だと思いますが、

 

私は「苦しんでいる人」は「きっちり仕事をしている人」だと思っています。

 

誇って良いと思います。

 

ただ、誰も苦しみたい人なんていないと思うので、「自分はダメな奴だ」と自ら追い打ちをかけるのではなく、「自分はきっちり仕事をしているんだ」という認識で、胸を張って欲しいと思っています。

 

もちろん、「苦しむ」だけが「仕事」のすべてではないので、

 

我慢して「苦しむ仕事」もするけれど、他の仕事もできるようになったら、それを任されるようになるかもしれません。

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こんな感じでしょうか。

 

他にもあるかなぁ。もう思いつかないです。

 

大体、一般的にやっているのは「幸福感で返す」とか「我慢する」とか「(強制含めて)共感する」とかでしょうね。

 

文中で述べましたが、「苦しみを糧にして努力する」これができると、暗かった人生がパアッと開ける可能性が高いです。

 

逆に言うと、人生がパアッと開けた人は、おそらく例外なくこれができています。

 

イーロン・マスクさんとかも、壮絶ないじめを受けて、その時の苦しみをエンジンにして、宇宙までロケット飛ばしましたから。

 

苦しみを糧にする、は、やり過ぎは危険ですが、

 

小規模に、ちょっとやる、だけでも効果があるので、これをおすすめします。

 

後は、俯瞰して逃げるとか、そんくらいです。

 

「苦しみへの対応」をたくさん書いたあとに、「苦しむことが仕事だ」というどんでん返しをしましたが、

 

苦しみから逃げたら、じゃあ今度は苦しもうか、というシーソーゲームが人生じゃないですかね、とかぼやいて終わろうと思います。

 

能登の被災者のみなさんが、できるだけ癒やされて、仕事が一段落することを願っています。