プライドの使い方

プライドは、高いと周りの人や物事がすごく下らなく思えてきて、不幸になりやすいです。

 

なぜそんな逆境に自ら首を突っ込む人がいるかというと、そうしなきゃ負けてしまうからですね。

 

「普通に、のんびりとしていては、必ず負けてしまう」という認識があると、

 

「オレは勝者になるんだ、絶対に負けない」という自負と希望を持って、プライドを持つようになります。

 

単純に言うと、「高望みしたがり」だと、高プライドになります。

 

「別に周りから軽蔑されてもいいよ~平和にのんびり生きてられたらそれだけで幸せだから」

 

と思う人は、プライドとは無縁だろうし、

 

高プライドの人を見たとき「何でそんな肩肘張って、高みを目指すの?今居る場所がそんなにつらいの?」と疑問をもつと思います。

 

私は、プライドの高い人を見ると、「あぁ、がんばってるんだなぁ」と温かい目で見ますが、

 

なぜかというと、やっぱりその人がチャレンジしているからですね。

 

高みを目指すこと自体は、他人である私にはあまり関係ないですが、本人がそうしたくて、がんばってるんなら、「うまくいくといいな」と思います。

 

ただ、プライドと虚勢は表裏一体で、

 

「みんなからチヤホヤされたいから」「そういう人を演じる」という、なんちゃってプライドを持っている人は、「うまくできてないなぁ」という感想を持ちます。

 

結局、チヤホヤされたいのは、その本人の問題です。

 

もし、周囲から賞賛されたり、愛されたいと望むのであれば、そのために必要な行動を淡々と取っていればいいだけです。

 

たくさん気配りして、周囲の人を心地よくしたり、危ない目にあってる人をがんばって守ったり、いくらでも手は打てます。

 

それをせずに、「さぁ、皆の衆、貴様らが我を賞賛せよ!なぜなら私はすごい人なのだから!」となんちゃってプライドを全開にしても

 

ただのワガママ赤ちゃんにしかなりません。

 

まぁワガママ赤ちゃんでも、ひとりの人であるので、

 

無下にしたり、否定したりはできないのですが、「プライド高いなら、それに見合うだけの努力と、自分の問題は自分で消化する節度を持ってほしいなぁ」と希望があります。

 

努力がいやならば、私のように、プライドを放棄すればいいだけです。

 

私も過去には、プライドのお世話になりましたが、今はのんびりモードなので「もういらないや」と思って捨てています。

 

だって、プライド低い方が、明らかに幸せになりやすいんですから。

 

「努力は嫌、でもプライドは捨てられない」という人はおそらく

 

「今が辛い」んでしょうね。

 

「苦しくて軽快な身動きができない、ここから抜け出したい」

 

そうだ、「すごい人を演じればいいんだ」「すごい人になれば賞賛も愛も手に入る」

 

という即物的な、インスタント幸福に手を伸ばすのは、自然と言えば自然です。

 

自然なんですが、「今、自分は苦しいから、もっと優しく丁寧に接してほしいな」

 

と、素直に申告すれば、済む話なんですけどね。

 

それができないのは「今が辛い」という現実も、受け入れたくない、向き合いたくない、

 

そういうことなんでしょうね。

 

こういう「やだやだ症候群」はどうにも情けないですが、意外と、自殺防止とかにも役立っているかも知れません。

 

ちゃんと、現実と向き合って真剣に生きたら、ハードゲームすぎて「自殺一択」になる。

 

そういう程度の話かもしれないので、それぞれ本人の好きにさせておくのが、一番の処方箋かもしれないですね。

 

「しょうがない人だなぁ」と思いながら、大切にしてあげるのが一番生産的かもしれません。