音楽について

私はちょっと前から、「EURO TRUCK SIMULATOR」というPCゲームをやっていて、その続編のような「AMERICAN TRUCK SIMULATOR」を最近やっています。

 

このゲームは簡単に言うと「長距離トラックを運転して、配送する仕事をひたすら繰り返す」という趣旨です。

 

私はほとんど自動車運転ができないですが、かねてから、実際の運送業のドライバーさんの技術に憧れを持っていました。

 

私がやっているのはゲームですけど、臨場感のあるトラック運転ができて、けっこう楽しく、リラックスできるのでやっています。

 

ゲーム内では、運転中に車内で流れる音楽や、ラジオ(リアルのラジオ配信も流せる)を適用できるシステムになっています。

 

その音楽を、自分の好きな曲のMP3データを所定のフォルダ内に格納すれば、その曲を聴きながら運転ができるといった具合です。

 

十数曲、自分の特に好きな曲を入れているのですが、お気に入りのひとつにAdoさんの「唱」という曲があります。

 

この曲は、ユニバーサルスタジオジャパンのゾンビパレードで採用されている曲みたいで、ダンスもあって、かなり有名なので、私もYoutubeで知っていた曲です。

 

この曲を最初に聴いたときは、「なんかガチャガチャ混み入ってて、やかましい曲だな」と思って印象はあまり良くなかったのですが、

 

じっくり聞いてみると、かなり細部への作り込みがあって、「制作者の努力の結晶だな」という印象を持ち、好きな曲になりました。あと単純にテンションが上がります。

 

Adoさんは、この曲だけではなく色んな声色を使い分けていて、聞く人に対して「単一の印象」「特定のキャラクター」を示さない、「表現力の多彩さ」で圧倒するスタイルのようです。

 

私が、「なんでだろうなぁ~」と思うことは、最近の若い人向けの曲では「がなり」がよく入るんですよね。

 

「なんでがなるんだろうなぁ~」と思ったんですが、おそらく、「印象第一の場」においては、「感情の強調の表現=がなり」になるんだろうなと思っています。

 

私はあんまり「印象」に関心がないので、「がなり=強い」というのはあまりイコールで結びつきません。

 

例えば暗殺者の世界だったら、大きな声などで威嚇する暗殺者よりも、音も無く誰も居ないかのように気配を消して、確実に対象を仕留める方が「強い」です。

 

「がなり」があんまり嫌だ、というわけではないのですが(確かに迫力があって、ちょっとビビってしまいます)違和感を覚えるのは「脈絡のないがなり」なんです。

 

がなって然るべきのストーリー背景があるならば、当然そうするのが自然で、表現としても違和感がないのですが、

 

ただ単に、「聞く人に強い印象を与えたい」だけのがなりであるならば、それは表現としてどうなんだろう、と思います。

 

それをするのであれば、別に歌を歌う必要はなく、日常生活で友人などを威嚇すればいいだけでしょう。

 

私はべつに、がなって歌ってる人(Adoさんや他の歌手の人)に対して不快だからやめてくれと言っているのではなく、「本当にそれがあなたの表現なんですか?」という疑問があるということです。

 

「これが私の表現です」であるならば、「OK、わかりました」となります。

 

Adoさんの「唱」以外の曲として、東京喰種というけっこう前のゾンビアニメの主題歌になっていた凜として時雨さんの「unravel」という曲も入れています。

 

この曲はけっこう面白いドラマティックな作りで、話題にもなった有名な曲ですが、この曲では「シャウト」があります。

 

心の叫びのような、けっこう壮絶なシャウトです。

 

このシャウトは、ちゃんと背景のあるシャウトになっているので、私は「なるほど、良い表現だな」と納得して感動しました。

 

叫ぶべきして叫んでいるのです。もっと言うならば、ストーリー上、「自分は叫びたくて叫んでるわけじゃないんだ」という、現実への絶望の混じった悲しみのシャウトです。

 

話が飛びますが、俳優・役者さんの世界であっても、表現においては「台詞回しだけではなく、すべての間・所作に必然性がある」「統一性がある」役者さんはすごいなぁと思います。

 

私はカラオケでも音程を取るので精一杯で、表現が決して上手い方ではないですが、表現とそれによって感動が生まれることに興味があるので、こういう日記を書きました。

 

上手い表現ができると、たぶん、演じている人自身も楽しいと思うので、エンタメ業界の方々を応援しています。