イスラエル・パレスチナ問題 その⑥

私は前回の日記(その⑤)で「イスラエルの軍事行動を支持します」と書きました。

 

それは、イスラエルの「What to do」つまり、ガザのハマス叩きとレバノンヒズボラ叩きを目標として設定することを支持しますという意味です。

 

「How to do」に関しては、一般市民への攻撃など、やり方が雑すぎるので改善すべき要素が多いと思っています。

 

過去のイスラエルの入植などの残虐行為については、過去のことなので、個人的には賛美はしないものの、宇宙的には及第点なんだろうと思います。

 

同時に、ハマスのテロ行為についても、過去のことなので、宇宙的には及第点なんでしょう。人間目線の個人的印象では、「くだらないことに熱を入れてんな」と思いますが、より客観的に評価する場合、私はその評価軸を持っていないのでジャッジする能力がありません。

 

今回の日記では、ハマスのようなイスラム過激派のテロリストについて考えようと思います。

 

人間社会で、争い・いざこざが起こるパターンは2つあると考えます。

 

ひとつは「競争」

もうひとつは「向いている方向が違う」です。

 

「テロリスト」と「テロリスト以外」の争いは、後者の「見ている方向が違う」が基本要素として該当します。

 

一般的には、「周りの他者・他国との関係性の中で、自分が優位性を持とう」「その優位性によって幸せになろう」という趣旨で生きている人・国家が多いと思います。

 

大体の欲がからんだ犯罪行為は、優位性を獲得する「競争」によるものです。

 

人間社会にはこのレイヤーがまずあります。

 

テロリストも優位性を持とうという発想はあるかもしれませんが、彼らはそれよりももっと強いレイヤーに荷重をかけているように見えます。

 

彼らは、「神(アッラー)との関係性」を強めることによって、救われようとしています。

 

一般人は横を向いて生きているけど、テロリストは縦を向いて生きているということです。

 

横つながりの世界観と、縦つながり方向の世界観、これらのレイヤーは異なるけれど重なった状態で、現実世界が成り立っています。

 

重なった世界観の荷重のかけ方の比率によって、その人の人格(意志決定システム)が構築されます。

 

「見ている方向が違う」の実際の例を挙げると、

 

例えば2人の同僚の会社員がいたとします。

 

Aさん「会社のシステムに順応して、できるだけ出世して、お金を稼ごう」

Bさん「会社のシステムを合理化して、経営状態を良くして、お金を稼ごう」

 

という異なる方向を見ている場合。

 

Aさんは上司がパワハラ傾向があるならば、自身も積極的にパワハラを行い、評価を上げようと努力します。

 

Bさんは上司がパワハラ傾向があるならば、それを我慢して凌ぎつつ、自分周りの職場環境を良くしようと努力します。

 

このように、向いている方向が違う2人が、仕事の進め方について話し合うとどうなるでしょうか。

 

おそらく、会話はかみ合わないでしょう。AさんはBさんのことを「会社の方針に従わない反逆者」と感じ、BさんはAさんのことを「会社の経営状態を貶める癌細胞」と感じると思います。

 

一般人とテロリストも同じ構造「向いている方向が違う」があって、話はかみ合いません。よって、説得は不可能に近いです。

 

テロリストの場合、神(アッラー)に高い忠誠を示して評価されることのみ考えて、横はどうなってもいいやと考えています。

 

つまり、神のために一生懸命がんばる必要があると思っているけれど、人間世界の横からの攻撃はノーガードだと経験上認識しています。

 

そもそもの因果は、「横から大きな攻撃を受けた」という認識です。

 

①横からの攻撃を受けて傷付いた

イスラム教の教えを知る

③横関係はくだらないものだと納得する

④縦(神)方向に向いて爆走することを決意する

⑤くだらない横をテロで破壊して、神からの評価を上げようとする

 

というロジックだと思います。

 

もちろん、テロ行為によって評価が上がる、というのはイスラム経典には書いてないだろうし、自分勝手な解釈ですが、本人はそう解釈したいのでしょう。

 

こうなってくると、仕上がったテロリストとは、和解は不可能です。

 

ユダヤ人のように「本当は横と仲良くしたいけど、現実はそうじゃないから戦う」なら、まだ手助けのしようがありますが、

 

テロリストは「横はくだらないからどうでもいい」と思っているのだから、そのくだらない横の都合によって排除されるのは必然的なことです。

 

横でも縦でも同じことが言えますが、「自分が見る対象」というのは「鏡に映った自分の姿」ですから、「相手がくだらない」ならば、「自分はくだらない」ということになります。

 

自分がくだらないのならば、救われない(横が助けてくれない)という結果になります。

 

自分がくだらなくても、「生きていてはいけない」ということにはなりませんが、「テロリストに殺されたくない」という横の他者都合によって、殺されうることになります。

 

だって、殺されたって、大好きなアッラーが救ってくれるんだから、いいでしょう?

 

テロリストの末路は、横方向から殺されて、縦方向から救われる(見込み)というのが最も自然で、それがもし嫌ならば、自分(横)がくだらないとは思わないようにすることをお勧めします。

 

以上が、私がテロリストを殺す場合の、ロジックです。