A diary 9/13その②

寝ていると頭が冴えて、考えてしまいました。

 

精神的には安定していて、明らかに快い状態で、ネガティブっぽいことを考えていました。

 

それは、「人間含む生命って、いなくてもいいんじゃないか?」ということです。

 

きっかけは、ツイッター(X)を見るだけにしていて、あるツイート(ポスト?)で、「人間の生きる目的、幸せとは、他人を喜ばせて自分を必要な存在にすることである」みたいな、心理カウンセリングみたいな文言を見たことです。

 

私は他人から喜ばせてもらいたいという願望がないので、当然、他人を喜ばすこともあんまり興味がありません。

 

好きな人相手だったら、喜ばそうとするのですが、例えば知り合い程度の人をそんなに喜ばせてもしょうもないだろう、とツイートを見て思いました。

 

「なんで、そいつにそこまで迎合しなきゃいけないの?」という意識があるからです。

 

「他人を喜ばせて自分を必要な存在にする」ってことはその他人は、「自分を喜ばせられないような人間は不要だ」って思ってるってことですよね。

 

なんでそんな迷惑な人間を喜ばせなきゃいけないのか・・・と思いました。私だったらそいつから高い評価を受けても虚しいだけです。

 

例えば、私はスーパーで鶏肉とか、たまに牛肉も買うのですが、これは間接的に鶏さんや牛さんをぶっ殺しているのと同じ事です。

 

牛さん目線で「人間(私のこと)に食べられて、美味しいって喜んでもらって、必要とされたんだ、やったー!」って思ってたとしたら、気持ち悪くないでしょうか。

 

なんでそこまで私に迎合するの?と違和感を覚えます。

 

牛さん「なんでお前に食べられて犠牲になんなきゃいけないんだ?迷惑なんだが」

 

と思うのが普通だし、私は「いやぁこちらの都合を一方的に押しつけてしまって申し訳ない。美味しいしつい食べてしまうんだ。ただ、この捕食関係も、永遠に続くわけじゃ無いし、終わったあとは関係の精算もそちらが望むなら受けようと思う。これは私が望んだことではなく、不可抗力的な面もあるんだ、許して欲しい」と弁明しますね。

 

牛さんを犠牲にしなきゃいけない理由は、私にはないし、牛さんにもないでしょう。

 

ただ、強制的にそうなっているというだけで、何ら根拠や正当性もありません。

 

こういう意味不明な現象を見ると、「あぁ、人間ってこの世にいない方がいい面も常にあるんだな」と思います。

 

「人間がこの世に必要だ」とか「生きることはそれだけで尊い」とか思うのは自由だし、そういう面もあると思いますが、同時に、「いなくてもいい」という側面も常に存在しているということです。

 

少なくとも、鶏さんや牛さんの多数は、「人間はいなくてもいい派」でしょう。

 

そういった状況下において、「他人を喜ばそう」とか「他人から必要にされよう」とか、モチベーションが上がりません。

 

「いや、その他人も、自分も、そもそもいなくてもいいような存在なんだけどな」

 

私はそう思います。逆に、あらゆる人がそう思っているからこそ、それを覆い隠すために人から必要とされたいと思っているのかもしれませんね。

 

あとは単純に愛があるから、喜ばせたい。それはあると思います。

 

しかし、愛がない相手に対して、そこまで媚びへつらう動機が私にはわかりません。

 

「その条件を満たされないと、他人を強く憎んでしまう」とか。これはありそうですね。とても迷惑なことです。