「はじめての構造主義」を読了しました。
なるほど~構造主義における「構造」の意味とは、表層に現れない本質的な制度のことを指すんですね。
本の中で、興味深かったのが、音韻法という手法です。
「対象を、対立項で、閉じさせる」(=閉じていると仮定する)やり方で、論理的な分析をするという手法。
このやり方は、万能ではないけど(詐称的な側面はあるけど)、対象全体のうち一部のパーツを、各個分析する、という目的においては有用かもしれないな、という発見がありました。
あと、ポスト構造主義の説明も簡単にコメントがあったのですが、結局、「構造主義のインパクトが強すぎたけど、100%は快く飲み込めないから、ケチをつけよう」みたいな感じのようですね。
ポスト構造主義の本も、一応読んでみようと思います。それでまた判断しよう。
数学の色んな幾何学(ユークリッドじゃない幾何学)についても、いくつか例が挙がっていました。
公理を立てて、樹を育てる。ただそれだけですが、真理に触れられたら嬉しいのでしょう。楽しいなら別にいいんですけど。
私は構造主義的な考えをしますが、これも万能ではないですね。
構造主義的な手法を洗練させれば「相対的に他人より間違いが減る」ことはできますが、絶対評価としては「小賢しくなる」程度の水準ですね。
だから、私は今はあんまり構造を見ようとしていないのですが、使えるシーンがあると言えば、ある、とも言えます。
型が古いピストルみたいな感じ。
それを持ってもそんなに強くはなれないけど、いざというときに持ってると、無いよりかはマシみたいな。
結果として得ている能力はその程度ですが、私は結果よりも過程の方が大事だと思っているので、まぁそれでもいいかなと思っています。
構造主義自体そんなに優れていないのだから、ポスト構造主義とか言ってないで、ゼロから新機軸を打ち立てた方が良いと思いますね。
世の中は人口減のトレンドが始まりますから、その社会的課題に対して真摯に向き合う姿勢があると私は喜びます。