個人の責任

私は今、無職で、日々だらだらと過ごしています。今日は午前中にちょっと外出して、お昼寝をして、起きたら夕方でした。

 

このように生産性の無い生活をしているのですが、それをマイナスにはあんまり捉えていません。「いいんじゃない?」くらいに思っています。

 

人間を車に例えるのならば、駐車している状態ですね。止まっています(少しは動いているのですが)。漂ってるワカメと言ってもいいかもしれません。

 

自分を観察したり他人を観察したりしてわかったのですが、人間は「勢いよく直進してるとき」はとても輝いていて、自分にとっても気持ちが良いようです。

 

その裏返しとして、ちょっと嫌な事があったときは「自分はこの方向に進んで間違っているんじゃないか?」という疑心が生まれて不安感が増したりします。

 

「直進気持ちいい星人」である人間にとって、「ある方向に直進する自分が正しいかどうか」はとても重要な要素になるということです。

 

ここで認識として押さえておきたいところは、「どの方向にいくべきか?」とか「気持ちよく直進するためにいかにして他人を犠牲にするか?」という実務的なテクニックに注意を向けるのは、尚早だという事です。ここには認識の飛躍があるということです。

 

第一の認識としては、「そもそも人間って操作性悪すぎでヘボくね?」というものが正解になってきます。

 

操作性が悪いのならば、それを無理やり使わなきゃいけない理由なんてどこにもないのです。普通に考えて、ハンドルを1回転して進路方向が30度しか変わらない車なんて、誰も乗らないですよね。運転しづらいし、スピード出したら事故起こすかもしれないし。

 

だから、私は何もせず立ち止まっているときも、まぁまぁ及第点取れてるな、と思うのです。ハンドルが利かないヘボ車なのだから、路肩に止めて「ふぅ」と一息つくことは、最善じゃないにしろ、そんなに間違ったことはしていません。

 

最善は、「ヘボ車」を乗りこなし、ハイスピードで直進して気持ちよくなることですが、これはしんどいし、覚悟が必要ですね。もう過去にやったことがあるので、別にもういいやとも思っています。

 

立ち止まっていると不安になる、「みんなから遅れをとった落伍者・欠落者なんじゃないか?」と感じてしまう人には、「個人の責任は、あなたの判断能力にあるんじゃなくて、そのほとんどは人間のハードウェア構造にあるんですよ」と言います。

 

「ただ、ヘボハードウェアで運転すると決めたなら、ハンドル握った瞬間にいろんなリスクがポコポコ発生するので、覚悟して、気をつけてくださいね」とも言います。

 

みんな、この認識をすっとばして、ヘボ車のアクセルぐっと踏むし、トラブルになったら悩み落ち込むし、「それはあなたのせいじゃない、総合的な身体構造のせいが8割ですよ」ということですね。

 

この共通認識ができたら、余裕が生まれて、みんなスピードを落とした気楽なドライブが楽しめるようになったり、車の性能に合わせた道路交通法が整備されたり、悲惨なことが減るんじゃないかと思っています。