A diary 8/25

ここ最近、家の中で頻繁に小さいクモを見かけます。

 

「よくいるなぁ」と思っていたら、どうやら3匹以上くらい、同じ種類のクモがある程度家の中で繁殖して住んでいるようです。

 

私はクモはあんまり嫌いじゃないし、放っておいてるんですが、つい先日シャワーから上がって、リビングを歩いていたら床にいたクモの1匹を軽く踏んづけてしまい、期せずして殺してしまいました。

 

「なんか踏んだなぁ?」と思って、床を見たら、小さいクモが足を縮こまって丸くなっていました。

 

「やってしまった」と思って残念な気持ちになりましたが、仕方ないので、その亡骸をバルコニーの植物の土の上に置いておきました。

 

もしもこれがクモではなく、ゴキブリであったら、むしろ積極的に殺虫スプレーで命を獲りにいくのですが、この違いは何だろうかと考えました。

 

まず、クモは可愛いです。大きさがあんまりない(5mmくらい)というのもあるのですが、よく見てみると、その仕草も「ちょこちょこしているし」「何がしたいのか、その場で回転したり」で、微笑ましいです。

 

一方、ゴキブリは、盗賊のような俊敏さと、サバイバーとしての洗練さを兼ね備えた生物界の超強者です。ひいき目に言っても、可愛くはないです。むしろたくましい。

 

そして、彼らは繁殖で激増します。そんなに増えるなら、害虫認定は避けられません。もしもゴキブリが「家の中に1匹だけで、増えない」のであれば、共存はできるかもしれないし、よく見てたら可愛く映るかもしれません。

 

しかし彼らは調子に乗り、あるいは恐怖に突き動かされて、どんどん増えて勢力を肥大化していきます。そうなると私との戦いは始まってしまいます。

 

日本でも、ダイエーのように、調子に乗って巨大化したスーパーが赤字製造装置となり、巨体が潰れるといったことが起こります。

 

組織が大きくなれば、「大きいが故のメリット」が得られると思って肥大化しがちですが、「大きい」ということはそれだけ「邪魔」だということです。

 

巨大化したがる輩に共通しているのは、ライバルとの競争や、優劣関係しか見えていないということです。

 

相手より大きい拳で殴ったら勝てるだろう→だから大きくなろう

 

という素直な発想で、生きるのもいいのですが、どんなに人が寄せ集まっても、たかが知れています。合計75億人の人類は勝ててないし頼もしくもないでしょう。

 

もうちょっと包括的・客観的に見て、自分(たち)の長所・短所を把握して、場を見て、戦略を練った方がいいと思います。

 

アメリカとかが、世界No.1を目指しているのは、世界の「極」を担おうとしているというだけで、みんなその競争に追い付け追い越せやった方がいいというわけではありません。

 

アメリカのIT企業が、国際競争力を持ってイノベーションをしよう!と思っていても、他の国がそれに並走したり追走する必要性はないんです。

 

「あー、アメリカ君は敢えてしんどい『極』を担当してくれるのね、ありがとうお疲れ様!じゃあ僕らはマイペースでいこうか」という態度で全く問題ありません。

 

それぞれの国民性とか鑑みた上で、「自分たちの道」を歩けばいいだけです。

 

その枠の中で、「日本は国際競争力はこれくらいあった方がいいね」「じゃあそれに向けて努力しようか」という決定をして実行すればいいのです。

 

と、思うのですが、実際はけっこう不自由なようで、「無理矢理競争させられたり」することもあるのかもしれません。

 

ただ、前提としては「どうでもいい競争に積極的にのめり込む必要性はない」ということを把握しておいて損はないと思います。