A diary 8/14

私は以前日記に書いたとおり、日本の貧困の最低水準を一定以上に引き上げたい、という願望を持っています。

 

これは、貧困家庭への金銭援助、物資援助という手段を取りうるものですが、それは手段の一形態にすぎず、目的というか理念はちゃんとあります。

 

それは、給料が低すぎて経済的困窮に陥っても、一旦無職になっても、一時退避して(ピットインして)、再チャレンジできるように機会を与えるというものです。

 

元気に働いていた人が、何らかの理由で、働けなくなるということは誰にでもあり得ることです。

 

最近起こった、ハワイの島の大規模火災(死者約90人、避難者千人規模?」で、辺り一面、灰色にこげた焼け野原となっている映像をテレビで見ました。

 

Amazonのベゾフさんが140億円相当の寄付をして、復興基金を立ち上げたようです。

 

瓦礫の撤去や街の再建、避難民の生活保護など、マンパワーの確保や物資の調達などの課題があると思うので、ハワイ州知事さんの話では、「復興には途方もない年月がかかるだろう」とのことです。

 

日本にも、東日本大震災とか、地震がありましたし、阪神大震災もありました。

 

こういった大規模なハザードが起こったら、まず、避難民の生活を守らなきゃとなり、これがかなりの大きい問題となりそうです。

 

街の復興も、その次の優先順位でやることになりますが、私的には、いったん、避難民をどこかの地域に預けて(そこ専用のリソースを復興とは別に用意して)、がれき除去などの復興は、その地域の生きてる業者がガッとやるのが良いと思います。

 

「避難民をどこかの地域に預けて」と言いましたが、このように災害などの何らかの理由(単純に不景気だからという理由も含めて)で、仕事が十分にできず、生活の維持が困難な人を、まとめて受け入れる「村」のような集落を作ってみたいです。

 

その村には、村民は出入り自由として、半分独立した経済圏となるように運営をします。半分独立というのは、半分公金支出に依存するということです。

 

健康上の理由などから、働けない人も受け入れます。

 

ただし、一部の人は、働けたり、職業経験などから技術を持っている場合は、農業や林業、漁業に従事してもらいます。

 

村ではデジタル通貨も利用し、がんばって働けば、それだけ可処分所得が得られるようにもします。

 

課題は、ある程度税金投入して、村内部の産業・経済も回して、トータルで「村民全員食えるようにする」ということです。

 

その生活基盤を維持して、希望をすれば、村の外の経済、つまり日本の普通の経済圏への復帰も可能なようにします。そのための職業訓練なども、外部から教員を派遣して実施します。

 

この「ピットイン避難村」が実現できれば、災害による避難民の保護・再チャレンジを実現でき、又、経済不況による治安の悪化なども防げると思います。

 

私だったら、この避難村に、永住を選択するかもしれません。テクノロジーの革新に頼るのではなく、「人の希望とハングリー精神」ドライブで回る社会となったらいいなと思います。

 

又、「なんでそんなに生きなきゃいけないんだ」という人もいるかもしれませんので、薬物安楽死を合法にして、避難村からも抜けられるようなルートを用意します。

 

「いつでも死ねるんだから、避難村でもうちょっと生きてみよう」

 

とゆうような、人間が本来持っている「希望力・生命力」を思う存分活用できる場所として、私は「ピットイン避難村」があればいいな、と思います。

 

作る機会があるなら、チャレンジしてみます。