A diary 8/13その④

なんやらよくわからない世界だなぁと思っていたのですが、ある程度決め打ちをしようと思いました。

 

というのも、地球周りは明らかに滞留が作り出されていて、その環境で、我々人間は、見る、感じることを委任されているからです。

 

人間が地球上で、何か(手足とか)を操って、どうかしよう、というのは、目的ではなく手段である可能性が高いと思っています。

 

人間の営みとは、単純化すればルービックキューブをカチャカチャ回すようなことであって、どう配置を操ろうと、ルービックキューブ自体の質量とかは保持されます。

 

ルービックキューブがどうあってもいいはずなのに、ある特定の環境を作るように指定される理由は、「その環境を見た人間がどのように感じるか」を測定しているためだと思います。

 

人間目線では、「もし怖い目にあったら、2度とそうならないようにしよう」という教訓を得て、前進することがメイン活動になりますが、

 

人間を管理する側からすれば、「その環境、状況で、どう(質、程度的に)感じたか」という測定結果が欲しいのだと思います。

 

あなたが不安にさいなまれ、落ち込んだり、または突然のトラブルにより恐怖にパニックになりそうになったとしても、それは失敗ではなく、立派な「測定結果」として重宝する人がいるということです。

 

で、それと同時並行的に、「状況の変化によってパニックを起こして、過剰な反応をする個体」は、「どうにか教育せんとな」とか「配置に気を遣わなきゃいけんな」とか考える人もいます。

 

一連のあなたの反応や行動は、いろんな視点によってがんじがらめになっているので、例えば「悪意を大事にしよう」とか、お決まりのルールに従っていれば良いみたいなものではなく、その実態は少なくとも私にはわかりません。

 

しかし、な~んか洗練されていない部分もあり、それならば、ある程度、判断軸を決め打ちして、やった方がいいだろうなという経験からくる判断を私はしました。

 

私に与えられている課題は

 

1,状況を見て、ありのままに感じること

2,その感じ方が、極端にネガティブであるならば、当事者目線で、環境を変えるように努力すること

 

トップダウン的には、人間が背負っていないようなもっと困難な課題に対応するために、システムの洗練というものを究極的に研ぎ澄ましている状況だと予想されます。

 

なので、基本的には、システム依存を強めても(短期的には)問題ないし、むしろシステムに依存しない方が弊害がでるくらいですが、

 

全体の細かな末端部分における「快適性」とか「居住性」とかは、当事者である地球人にしか改善することができず、その環境改善を実行し、その反応のデータを上に上げる、という仕事を担わされている、と予想し、この決め打ちをしました。

 

現場のことは、現場の人にしかわからない(=「どのような現場が好ましいのか」という情報を、上は持っていない)のです。

 

だから、キチンと見て感じて、改善した方が良いと思ったら、私は改善していこうと思います。

 

ただし、システム全体のルールに対しては、齟齬があってはいけないので、きちんとルールを守った上で、その範囲で活動するのがいいですね。

 

又、環境を変えるにしても、急激に変えるのではなく、「恐る恐るゆっくり変えた方がいい」と思います。急激な変化は、とても苦手なひともいますから。

 

判断軸が決まれば、とても簡単です。

 

この判断軸が正しい根拠はありませんが、今のところある程度確信(6割くらい)があり、私はそのように考えることを意思決定しました。