A diary 8/13その③

今さっき、面白いことを思いつきました。

 

Youtubeとかティックトックとかの動画視聴だけが楽しみという方は、ひまなときにでもやってみると良いことがあります。

 

それは「当たり前にあるものバスターシミュレーション」です。

 

やり方は、普段の生活の中で、「もしも○○が無かったら・・・」というイメージをして、その○○のありがたみを「再確認」するというアクションです。

 

初心に帰るということですね。

 

例えば、私は冷たい水(水道水やミネラルウォーター)を飲むのが好きなんですが、「もしもこの水がなかったら・・・」のイメージをしてみる。

 

水がないんですよ。3時間くらい経ったら、喉が渇いてきますね。

 

でも飲むものがないから喉は渇いたままです。

 

6時間経過、この時のつらさをイメージできるでしょうか。私はけっこう気持ちがへこんできます。

 

水がない場合のイメージ、つらさを感じることができたら、冷蔵庫を開けて、ペットボトルの水をコップに少しだけ(1、2口分くらい)注いでみましょう。

 

それで、それを飲む!

 

口の中全体で水を受け入れるように、少量の水を、勢いよく喉に送り込んでいく!

 

「うまいっ・・・!」(←カイジ風)

 

これをやると、水のありがたみを再確認できるし、ちょっとの水を口に含んだだけで、至福感、満足感を味わうことができます。

 

これが嫌な人は、なんか貧乏くさいな~とか思っているかもしれませんが、私は「自分の固定観念のさじ加減ひとつで、一口の水の価値が変わる」という現象自体を観察して興味が湧くので、楽しいな~と思います。

 

「もしも水がなかったらシミュレーション」ができるようになったら、これは他の何にでも適用できます。

 

「もしもエアコンがなかったら」

 

「もしも親がいなかったら」

 

いろんなモノの価値を再確認し、初心に帰ることができます。そしてその初心が、本来あるべき行動のカタチを生みます。ちゃんと行動に繋がる、ということです。

 

上級者になったら、今度はモノ以外を「もしも無かったらシミュレーション」してみましょう。

 

「もしもこの世に絶望がなかったら」

 

「もしもこの世にお金がなかったら」

 

「もしもこの世に暴力がなかったら」

 

よかったら、シミュレーションしてみてください。どんな世界が広がっているでしょうか。

 

このような常識、固定観念を無くしてみると、その対象の意味がよく見えてくるかも知れないし、あるいは、「素の自分の在り方」が見えてくるかもしれません。

 

想像力は、このような使い方をすると便利なものです。