娯楽性日記 7/31

今日で7月の最後です。8月も暑いでしょうから、まだまだ夏は終わらないと言った感じですね。

 

冷房はとてもありがたい、めちゃありがたい存在なのですが、ずっと冷房をかけていると、身体がひ弱になっていくのを感じます。

 

夕方に30分くらい散歩に行ってるんですが、やっぱり1時間~1時間30分くらい、歩きたいです。

 

今日のテーマはAIについて。

 

ヤフーニュースで、チャットGPTで有名なOpenAI社のアルトマンCEOが、「(人の)仕事は間違いなく失われるだろう」という趣旨の発言をしたという記事を見ました。

 

彼によると、AI技術は良い面だけでなく、怖い面、人に不利益になる側面をある程度必ず持っていて、現時点でそのような解釈を持つべき、という意見のようです。

 

私の意見は、AIが怖いというよりも、「無自覚にAIに振り回されて、恐怖にかられたり偏った正義感で暴走する人間」は警戒すべきかもしれないけど、AI自体は大して怖くないです。

 

AIのことをそもそもあんまり信頼してないですから。便利な使い方があるならば、それに限定した使い方をして、「上手くいった、ラッキー」みたいに思うと思います。

 

AIが怖いっていうと、例えば、自動車のAI自動運転で、システムの脆弱性により何らかの不具合が生じて、自動運転自動車による交通事故、死傷事故、が起こったら、怖いですね。

 

あるいは、AIがある国の要人を、自動的に危険人物として設定し、意図的にその人物が乗る自動運転に事故を起こさせて暗殺、排除し、「これでこの国の民主的経済的安定度が~%向上しました。ミッションコンプリート」みたいなアウトプットをするとしたら、怖いかもしれませんね。

 

でも、それが怖いなら、「その使い方を」やめればいいだけの話だと思います。

 

使い方を限定する。いろんな分野にAIの種を撒いてみて、美味しい実が成った部分だけ収穫して頂く、みたいなことで十分だと思います。

 

私はそもそもAIにそこまで期待してないので、イイコトあるならラッキーくらいにしか思わないし、それ以上のことをAIに求めません。

 

アルトマンCEOは、人間の仕事をAIが奪う、と警鐘を鳴らしています。

 

私は、AIが人間の仕事を奪って、それで終わりにはならないだろうなと楽観しています。

 

つまり、「AIに仕事を奪われた」の後に、「じゃあ人間は今までやれてこなかった仕事に取り組もう」があれば、何も問題はないんじゃないでしょうか。

 

社会制度が完成されていない過渡期には混乱があるかもしれませんが、AIが人の仕事を担ってくれるのであれば、じゃあ、「今までそこに割いていた人的リソースが丸々浮く」ってことですから、確実に人類にとって得ですね。

 

浮いた人手を使って、例えばAIを悪用する犯罪の取り締まりを強化するために「警察官」を増員するとか、これはただの一例ですが、いくらでも人材を流動させることはやろうと思えばできます。

 

日本のように、共働き家庭の子供の保育が足りてないのならば、AIで浮いた人手を、保育所増設して保育士として雇用すれば、女性の社会進出と、地域での子育ての両立が図れます。

 

結局、AIが社会に浸透してくると、「社会環境が変化する」っていうだけで、人間の知恵を使えば、いくらでもその変化を受け止めることは可能だと言うことを私は主張したいです。

 

たしかに、変化は怖いかもしれませんが、私の経験上、変化は娯楽に見えますね。いつもと違う景色がバアーっとなったら、楽しいですよ。