勉強の意味

私は細かい事をインプットしきれないので、洞察力を磨いてキーになる情報を絞り込む訓練をしてきましたが、

 

最近、勉強をしていて、細かいことがわからないと、未来の細かい部分もわからないなぁと自分の足りなさを感じています。

 

細かいところは、今見えている見え方でなくても、どのような形にも表出しうるので、アンテナの所でペイッとシャットアウトしてしてしまう癖がついています。

 

これのいい点は、例えば環境のルール(どんなに硬いルールでも)が、目の前で崩れ、不規則という混沌が顔を出してきても、エラーを出さずにパフォーマンスを落さずに動作できるという所です。簡単に言うと何が起きてもビックリしないです。

 

しかし、未来の細かいところまで予想しろ、とゆわれたら、全くわかりません。細かいところも予想できる人は、普段から細かいところまで目を配っているのだと想像します。

 

細かいっていっても、たとえば1mmとかの誤差でも、本質的にはそこには意味があるし、1mに意味があって1mmに意味がない、というのは人間の肉体的制限に従順な、ある種の怠慢な態度です。

 

なので、この点を反省して、とりあえず、細かいところまでインプットするには記憶力をあげなきゃな、と新たな目標を立てているところです。

 

今読んでる歴史本「西洋中世世界の成立」も、知らないカタカナ語とか、ローマ字の羅列がたくさんで、読んでもほとんど理解できていない(情報を咀嚼できていない)のですが、何回も何回も読み返して、覚えていったら、何か変わるかもしれません。

 

特に欲しくない情報をたくさん覚えるというのは人間に可能なのでしょうか。その情報を得ても、特に良い事ないかもしれない・・・その壁を越えたいと思います。