自分になにができるのか

私は、つい最近まで、というか今もですが、「社会は個人の集合だ」と思っています。

 

しかし、実際の日本社会では「社会は流れで、個人はその中に居場所を見つけるべきだ」という考え方のように見えます。

 

これは結構、考える意味のあるテーマで、「どっちが良いか悪いかという問題提起をするスタートライン」に立つまでに、だいぶ努力が必要なテーマだと思います。今の私の持ってる情報と能力では、ちょっとそのスタートラインに立てないですね。

 

過去の経験に基づく思い込みでいうと「日本人は自我が小さい」という傾向が見られます。「自我が小さい」から「自分の考え」も小さくなる。

 

なぜ自我が小さいかというと、「社会は流れで、個人はその中に居場所を見つけるべきだ」という目的のためには、それぞれの個人の(厳密に言えば)ユニークな自我が、邪魔で不要だからですね。

 

私のような自我が大きい人は、なかなかこのルールに対応できません。だから組織に適合できず、仕事も上手くできません。

 

それは日本社会の常識でいうと、「劣っている」ということなんですが、「じゃあ日本社会の基準で優れるようにしよう」とは簡単にはいきません。このリアル世界はそんな単純な物差しでどうにかなるイージーな世界ではないと知っているからです。

 

「自我を大きくして、頭でっかちになって、努力したらこういう成果を得ました!」と言っても

 

自我の小さいスタイルで現在進行形で動いている大勢の人に、それを当てはめても、「そりゃ無理だ!」となるのは自然なことで、私もそれは無理筋だと思っています。

 

流れに、個人が合わせていくスタイルだと、政治はやりやすくなるんですよね。流れをコントロールすることに集中して、あとはお前ら勝手についてこい、ついてこれないやつは死ね、と言えるので。

 

個人がそれぞれ勝手に動いたら、制御するのは直感的に難しいな、という印象を受けます。

 

アメリカなどの欧米諸国は、個人主義の人が多いみたいですが、それについては全く知らないので、どういった政治手法を用いているのか、気になります。

 

素人感覚で言うと、両者の手段を、うまくブレンドして、流れに乗るスタイルと、個人で勝手にやるスタイルを、両立するような形が好ましいと思うのですが、まだ誰も実現していないということは、それは技術的に非常に困難だということなんでしょう。

 

もし日本経済が崩れて、民間企業の倒産と、行政サービスの不行き届きが頻発するようになると、流れはパニック集団となり、犯罪も増え、手の付けられない状態になる可能性がありますが、その点はどのような対応をしているのか、というのも気になります。

 

その時に備えて、私は個人主義で無職をやっているのですが、ある程度、その壊滅的環境でもパフォーマンスをあまり落とさずに生産的な活動ができる個人がまとまって存在しないと、リカバリーができなさそうだなと思っています。これも直感です。

 

人が混乱してみんな不安になって死んだり殺されたりするのは、いやだなぁと思っています。

 

現状としては、一番ベターなのは、いまの流れに個人が合わせるスタイルを保守して、私はそれに対して何ができるのかを考える、というのがベターな志向かな、と思います。

 

自然界で生きるのだけでもハードなのに、さらに人間社会のルールも相まって、かなり混沌とした世界ですね。

 

過去の人はそういう世界で、もがいて、失敗して、良いこともあって、今がある。そう思うと、自分が試されている気がします。