やだなぁって何だろう。
不快はやだなぁ、でも不快だろうが快感だろうがおかまいなしの行動を取って未来が拓けることもある。
絶望はやだなぁ、不快だし、八方ふさがりで未来が拓けなくなってしまう。行動ができなくなる、そして将来多分死ぬ。
死ぬのはやだなぁ、絶望がいやだから死ぬのはやだなぁなのかもしれない。べつに死んでもいいかもしれない。絶望の中で前に動き出す手段として「死ぬのはやだなぁ」があるのかもしれない。
絶望でもおかまいなし、の人はいるんだろうか。今はそういう人に出会いたい。その人の中で何が起こっているのか。
絶望とは何なのか。期待が裏切られたとき。自分への期待、他者への期待。期待して、裏切られてもいい、というのはありえるのだろうか。
それは例えば愛情とか。他者を期待して、裏切られてもいい、なぜならあなたを愛しているから。
自分の中に感じる愛に期待して、裏切られたらどうなるのか。
私は子供のころから他者からの愛は怖い、と思っていたが、もしかしたら愛は人間を裏切らないのかもしれない。
人間の知覚能力では、愛に裏切られるパターンを知覚することができないのかもしれない。
人に優先的に伝えるべきことは、絶望の中で歩を進めるために「死にたくない」気持ちを守る、技術ではなく、愛は人間を裏切らないという確信なのかもしれない。