やらない宣言

前回の日記で「主体性の意味」は、「やる、やらない」の意思表示による仕分けの効率化だと書きました。

 

で、私は「やります」だったのですけど、

 

総合的に考えて、結局「やらない」ことにしました。

 

何をやらないかというと、大きな流れに歩調を合わせて、協力することをやらないということです。

 

「さよなら~嫌なので離れてください」ですね。

 

ただ、この世界は「塵ひとつ逃さない」仕様になっていますので、

 

地球あるいはもっと大きな括りのグループから抜けることができたとしても、

 

別の(もっと質の悪い)別グループに取り込まれて、苦労するかも知れません。

 

グループの総数は不明ですが、100あろうが1000あろうが、

 

とりあえず「見」をして、もし「このグループ面白いな」とか「魅力があるな」と思ったら投資しようと思います。

 

地球を含むグループには魅力を感じません。

 

・やってること

・やり方

・創り出したもの

 

それらはへぼいとは思いませんが、単純に「趣味が合いません」

 

よって、協力も「やりません」。

 

特に、「物質世界」が気に入らなくて、

 

こんな牢獄みたいな環境から抜け出したいなと最初から思っていました。

 

まぁ、また物質世界みたいな環境に放り込まれるかもしれませんが、

 

居残る動機もないので、さっさと退場したいと思います。

 

さようなら、

 

人間として死ぬまでは、適当に過ごしたいと思います。

 

-すべてはあるがままにありー

 

おわり