いじめ問題の核

学校とか、職場とか、いじめ問題があると思います。

 

いじめられている側からすると、「嫌がらせ」を受けて、それがつらい、

 

精神に不調をきたして、最悪、完全に絶望して「自死」に至る。

 

自死に至った人には、当然、家族・親戚がいる。友人・知人もいるだろう。

 

家族や知人からすると、「仲間が殺された」という認識になる。

 

世界の不条理さに怒りや悲しみの感情が湧いてくる。

 

なんでこんな目に遭わなければいけないのだろうか、と。

 

ここでの問題は、当事者からすれば

 

「十分な理由(被害者に落ち度)もなく、一方的に強い攻撃を受けた」

 

→「結果、自死に至った」

 

という側面になりますが、

 

より客観的に、包括的に捉えると、

 

「その構造って何なんだろう?」というアプローチになります。

 

「なぜ自分は(あの人は)いじめられなければいけないのか?」

 

その認識は十分にありえますし、実際にあるでしょうけど、

 

その前提としては、「いじめられないのが通常」という認識があります。

 

「不幸が通常」なんて、まるで「地獄」のようだからです。

 

「そんなのまっぴらごめんだ」それは、おそらく全存在にとって共通認識です。

 

逆に、「まっぴらごめんなのが」→「不幸・地獄である」というのが地獄の定義だからです。

 

「まっぴらごめん」は、嫌だから、

 

自分はそこから逃げたい、回避したい。遠くのエリアの物語であってほしい。

 

それも、一部の多数派の人にとっての真実ですが、

 

他方、一部の人たちにとっては、その「いじめられる」状況がありふれている、そのまっただ中で、出られないというケースがあります。

 

簡単に言うと、「地獄から出られない」のです。そういう人は確実にいる。

 

じゃあ、その環境下でどういう現象が起こるかというと、

 

唯一の救いがあります。

 

それは相手を「いじめる」ということです。

 

「いじめられる」=「苦しい」からの唯一の救いは、

 

「いじめる」=「気持ちいい」となっています。

 

これは、方向性の選択の余地はなく、それしかない。そういう地獄牢獄に生きている人はいます。

 

唯一の救いが、「いじめて気持ちよくなる」ということなので、

 

それをやるのが当たり前になります。

 

それが当たり前じゃないというのは、「地獄牢獄」の外に脱出できて、他のアプローチで幸せになる方法を見いだした人だけです。

 

その能力がないケースは、当然、地獄牢獄から出られませんから、

 

「いじめて気持ちよくなる」が当たり前になります。

 

ただ、上記までの私の記述には精度が欠いている部分があって、

 

それは「生きている人(地球人)」は「地獄牢獄の外に出られている」ということです。

 

解放ですね。

 

よって、その牢獄の外も含めた、包括的な世界におけるルールでいうと、

 

「かならずしも、いじめて気持ちよくならなければいけない理由はない」

 

ということになります。

 

なぜなら、別にそれにこだわらなくても、他の方法があるからです。

 

例えばアニメの美少女を愛でたり、

 

女性を慈しんで愛情を育んだり

 

スポーツをして汗をかいたり

 

いくらでも、幸せになるアプローチはあります。

 

しかし同時に、「いじめることが無くなることはない」ということも言えます。

 

地獄牢獄は、包括的世界の内部に確かに存在していますから、

 

その包括的世界において、「地獄牢獄メソッド」を使用することもまた、選択の自由だし、「ありえる」ということです。

 

前の日記でも書きましたが、地獄牢獄と包括的世界の関係は、

 

「同列」ではありません。

 

構造的に、包括的世界は二次的・副次的であって、地獄牢獄の方が比較相対的に、根源的です。

 

なので、「都合の悪い地獄牢獄」を排除したり、消去したり、それはそもそも不可能なのです。

 

包括的世界側には、その手段も力もない。

 

できるとすれば、「あるもの(地獄牢獄)の存在を、あるのにも関わらず、無いように思い込む」=「見ないふりをする」くらいです。

 

仮に私が「見ないふりを」しても、しなくても、地獄牢獄は確かに存在しています。

 

「包括的世界が存在している」と認識する場合は、必然的に地獄牢獄の存在も肯定することになります。

 

アニメの攻殻機動隊のキャラクターにもいましたが、

 

「私は何も見ない、何も聞かない」っていうのもひとつの「あがき」です。

 

地獄牢獄を含む、包括的世界そのものさえ「見ない」、ゆえに「何も無い」という方向性です。

 

でもそれも欺瞞でしかありません。欺瞞というか、絶望して逃避しているのだと思いますが。

 

よって、長くなりましたが、

 

いじめ問題の核、急所とは、

 

「地獄牢獄の存在は否定できない」

 

けれども

 

「地球に生きている人であるならば、その牢獄から例外なく離脱できている」

 

「離脱できているのにも関わらず」

 

「わざわざ地獄牢獄付近に留まって」

 

「相手をいじめて苦しめることで、気持ちよくなっている」

 

という点です。

 

包括的世界の住人としては、

 

「わざわざ地獄牢獄に留まっているのであれば」

 

「じゃあ、お前の手法、ルールで付き合ってやるか」と

 

「いじめ合戦になる」というのが普通の方向性です。「潰し合い」ですね。

 

ロシアのプーチンに対しては、地獄牢獄の住人でありたいようなので、「潰し合い」が基本になります。

 

細かな操作としては、

 

「望まざるをして、地獄牢獄周辺で迷ってしまっている」

 

「自分を制御できていないはぐれ者」に対して、

 

「お前は地獄ルールを好んでいるのか?」という質問をして、

 

「もし答えがNOであるならば」

 

「いじめ・いじめられ手法以外の、幸せになるためのアプローチを伝授する」

 

=「地獄牢獄から、十分に退避させる、そのガイドをしてあげる」

 

というのがあってもいいかなと思います。

 

「そんなのいらねぇよ」っていう人がいたら、その人は「はぐれ」てるのではなく、単純に地獄牢獄を好んでいると判断できるので、

 

通常営業で、じゃあそいつとは潰し合いだな、という判断で良いと思います。

 

地獄牢獄を好むって事は「よっぽど勝てる自信がある」ってことでしょうけど、

 

じゃあ、思う存分、地獄で勝ってみてください、とわずかなエールを送ろうと思います。

 

私は地獄は「嫌」なので、適当に広い世界でのんびりしようと思います。

 

まぁ最悪地獄環境でも、がんばって生きていくしかないんですけどね。

 

おわり