地位と責任

ヤフーニュースでちらっと記事の見出しを見たら、

 

「株の配当額を発表したメタ社のザッカーバーグ氏が、資産を4兆円増やした」とありました。

 

4兆円が上がったり下がったりするのは、桁がすごいな、と思いますが、

 

逆に、私だったら、その4兆円分、どうしよう?迷いそうだな、と思います。

 

運用資産が増えたなら、当然、それは投資に回さないといけなくなるのですが、

 

例えば4000万円だったら、ウキウキと「あれに回そうかな、これに回そうかな」とか考えられます。

 

4兆円だったら、ちょっと困った顔で、「え~~~っと・・・」とお手上げ状態になりそうです。

 

世の中では、お金持ちとか、社会的立場が高い方が幸せで、上へ上へ目指すのがメインストリートだと思われていますが、

 

地位が高まることは良いことばかりではなく、地位が高いということは、それだけ大きい責任が発生するのです。

 

自分の手に余るくらいの責任を負わされるのは、はっきりいって不幸なことです。

 

余りある財の裏にある責任に圧殺されうるからです。

 

なので、「自分の能力に見合ったちょうど良い責任」を負うことができる地位を目指すことが、正解だと思います。

 

ザッカーバーグさんとか、ITのパイオニアの人たちは、「ITで世界を良く変えたい」と志しているケースが多いと思いますが、

 

行動力の無い私にとって、「世界を大きく変える」ことは、かなり怖いことです。

 

変えたことによって、今まで無かった問題とかが、新たに生まれることが予想されます。

 

その未知の危険を、事前に全部洗い出しておいて(未来予測して)、その対策を用意し(リスクヘッジして)、実際に問題を小さく押さえ込まなくてはいけません(アクションする)。

 

それってかなり能力的にハイレベルなことなので、まず、「めんどくせぇな」という感想を持ちます。

 

なので、私が世界を変えるとすれば、「100のベネフィット創出のために90のコストを払っている」仕組みを改良して、「コストを80に減らす」とか、

 

そういう地味~な、効率化くらいしかやる気がありません。

 

単なる効率化は、けっこう体感として目立たないので、軽視されがち(派手なムーブメントに注目が集まりがち)ですが、

 

実は、効率化する、つまり無駄をそぎ落とすというアクションは、非常に優れた改変であると思っています。

 

無駄のある行動をする、無駄のあるシステムを使用する、ということは、確実に、ボディブローのようにダメージが蓄積していきます。

 

そこに「年月経過」の要素が加わると、「無駄の放置は」「確実にシステムダウンに至る」ルートに乗るということに等しいです。

 

これは、知っておいて損はない情報です。

 

だから、効率化というのは、絶対に欠かせないタスクのひとつになります。

 

でも、世の中には「自分のうっぷんをパアッと晴らしてくれるような」「ド派手な良い意味の世界の変化」を望んでいる人は多いようです。

 

彼らに聞きたいんですが、「世界が変わった後は、あなたはどうするんですか?」と言ったらどう答えるか興味があります。

 

「変わった後のぬるま湯の世界を満喫します」

 

まぁ、そうなんでしょうけど、「じゃあその後は?」

 

「賞味期限が切れるまでずっとぬるま湯を満喫します」

 

なんでしょうか。

 

うーん、世界には光と影はセットなので、

 

あなたがぬるま湯に浸っている最中、だれかがめっちゃ苦しんでいるんですけど、

 

それを狙っているということなんでしょうか。

 

なんというか、世界を「自分の部屋」みたいに思っているようです。

 

「カーテンを明るい柄にして、気分を上げる」と同じ志向で、

 

「世界を変える」と言っているように見えます。

 

事実として、世界は「あなたがくつろぐための部屋」ではありません。

 

「世界はあなたが苦しむための牢獄である」と言っているのではなく、

 

あなたと世界は「一体」、シームレスのひとつの塊であるという認識の方が精度が高いです。

 

実際には、自他の区別を付けているので、シームレスではない(ように見える)のですが、

 

「そもそも一体、シームレス」で、そっから次工程として「区別している」という認識を私はしています。

 

世界と自分がそもそも一体である、という世界観を持つと、

 

「わたしが、巨額の金を動かして、世界を変えよう」というのは、軽々には発想できなくなります。

 

その行動の意味がわかると、「恐ろしくてできない、リスクが高すぎる、自分には手に負えない」という感想を持つようになります。

 

その高みを目指して、研鑽を積むような、強者の人間に出会いたいのですが、

 

そういう人間を私は見たことがありません。私自身も、そこまでの力量はないし、特に目指してもいません。

 

目指していませんが、長い時間と機会を与えられるのであれば、そのルートには乗る必要があるだろうな、と予想しています。

 

ルートに乗っても、自分のさじ加減ひとつで、ゆっくり行こうと思っています。

 

ザッカーバーグさんは、4兆円をどう使うんでしょうか。

 

どのように迷うのか、その思考を覗いてみたいなと思います。