ペルソナの成熟

今日、禁煙を破ってまたタバコを吸ってしまいました。

 

「煙が・・・うまい!」

 

身体に負担があるので、止めた方がいいのですが、まだ止められません。困ったもんだ。

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今回の日記は戯れ言に近いポエムですが、書いていきます。

 

大元はひとつのALLであるが、私たちはそれぞれ人格を持っています。

 

原則的には「みんなひとつだね」なんですが、実際は、例えば私のようなクソダサ坊主と、「オレ(わたし)が一緒のわけないだろ!」と思うケースがあるように、

 

「あなたとわたしは違う人だね」というのが触感として普通だと思います。

 

この「大元は同一だけど、それぞれ異なる人格たち」を、ペルソナ(仮面)と呼ぶことにしました。

 

世界には色んなペルソナがあります。

 

どこかの国の大統領のペルソナ、小さい子供三人の世話をする主婦のペルソナ、アフリカの部族のペルソナ、過激派武装組織メンバーのペルソナ、オタクニートのペルソナ・・・

 

これらの多種多様なペルソナは、単一で機能しているのではなく、「全体として、時には協力し、時には綱引きをしたりして」精度の高いバランスを取って存在しています。

 

なので

 

「こういうペルソナが素晴らしいんだ」という考え方は、ちょっとマッチしません。

 

「うん、そのペルソナは輝いて素晴らしく見えるかもしれないけれど、他のすべてのペルソナを含めた全体としてどうなのか、が問題だよね」ということです。

 

なので「オレが!このオレが!素晴らしくなるんだー!」とがんばっても、その裏でその他大勢がどんずまりになっていれば、それはよろしくない状態ということになります。

 

じゃあどう考えるか?

 

まず、第一段階として、それぞれのペルソナを無条件で肯定することですね。

 

そうしたくないような、簡単に言うと「クソみたいな奴」が心当たりに該当すると、「嫌だわぁ」となるのはしょうがないですが、とりあえず「今時点の現実認識として」肯定せざるを得ません。

 

家に出たゴキブリが嫌いだからと言って、家に居るゴキブリの存在を「まずは」否定することができないのと同じ事です。

 

なので「まずは」「今在るのはそういうペルソナなんだね、うん在るね」という認知を十分にすることが大事です。

 

で、第二段階として、各ペルソナには、それぞれ成熟度合い(進行度合い)があるという点を考慮します。

 

みんなが同じスタートラインでよーいドン!ではなく、それぞれ独自の進捗を有している、カイジ風に言うと、「それぞれ独り独りが鉄骨渡りをしている」という個人プレーであるという認識です。

 

なので、「オレは成熟してるぜー!どうだすごいだろ!わかったらお前ら未熟者はオレを見習えよバーカ」というのはあんまりしょうもないです。進捗は人それぞれですから。

 

じゃあペルソナの成熟ってなんじゃらほい?という点について書きます。

 

それは、「欲望との付き合い度」によって進行します。

 

<ペルソナの成熟段階>

第0段階:どうなれば自分が嬉しくなるのかわからない

第1段階:自分の欲望を精度高く知る

第2段階:欲望を効率的に充足させる

第3段階:欲望が充足しなくても問題なくなる

 

こんな感じですね。

 

もしも0段階であっても、まったく負い目に感じる必要はありません。第3段階が偉いということでもありません。

 

ただ、ペルソナが順調に歩を進めていくと、必ずこのルートに乗っかるというだけです。

 

なので、注意点としては、

「どうすれば自分が嬉しくなるのかわからないのに(第0段階)」

→「欲望を効率的に充足させようとする(第2段階)」

 

というのは、明らかなミステイクなので、改めた方がいいでしょう。第0段階の人は、第1段階を目指すのが正しいと思います(きっぱり)。

 

なぜきっぱり言い切れるかというと、そのミスによる損失は、だれにとっても嬉しくないからです。だれにとってもというのは「あなた本人にとっても」&「他の誰にとっても」うれしくないという意味です。

 

私は、ニート暮らしをしていて、日中は料理、洗濯などの家事の他、PCゲームで遊んだり、タバコを吸ったり、この日記を書いたりして過ごしています。

 

第1段階「自分の欲望を精度高く知る」~第2段階「欲望を効率的に充足させる」

の過程にあります。

 

多くの人にとっては、この「欲望を充足させる」ことを重要な目標に置いていると思いますが、実はそれは終点の目標ではありません。

 

いつかは、「その欲望を傍に置いておいて、次に進む」という過程を踏むことになります。

 

これは例えば「PCゲームをしても楽しくない」状態というわけではありません。

 

「PCゲームをすればいつでも楽しいけれど」「それはもうなくても別にいいや」という状態が第3段階「欲望が充足しなくても問題なくなる」に当たります。

 

そこまでいくと「えっわたしどうなっちゃうの?」と思うかもしれませんが、簡単に言うと仏教的な意味での「執着しない」みたいなニュアンスになります。

 

それが人間共通の必ず通る道なんです、ということを知っておくといいと思います。

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<補足:ペルソナの刻印>

欲からの離脱、というと「悟った」感じがありますが、実はこれは機能的に実利があることになります。

 

そもそも欲ってなんじゃらほい?というと

 

それは「ペルソナへの刻印」になります。

 

多くの人は「自分の欲は充足されるべきだ」という我欲に対する肯定感を持っていると思いますが、実際にはそんなことはありません。

 

欲とは、あなたの人格、ペルソナに刻まれた「型」のようなものです。

 

例えば私は「だらだら、のんびりと時間を過ごしたい」という欲を持っていて、これは少年時代から今も変わっていません。

 

だからこそ、その「本当の欲」を充足させようと工夫しているのですが、これ自体、私の行動原理を縛る足かせになっているという事実があります。

 

「だらだら過ごしたいから」→「まじめに働かない」という、一般的に理解されやすい損失が出ていますね。

 

損失は、他でカバーすればいいですが、重要な点は、「その欲望を持っていること」そのものが、「私の動きを制限している」ということです。

 

例えばイスラム過激派テロリストであるならば「異教の敵を力で打ちのめしたい」という欲を持っているばっかりに、まっとうな人の道から外れていますね。

 

その(テロリストの)ペルソナは、それはそれで在るんだから、とりあえず存在を肯定するとして、「よし」なんですが、

 

このテロリストのペルソナを、平和的な経済活動に組み込むことは不可能になってしまいます。

 

この制限事項が、「固定的に」問題解決のハードルをあげてしまうという現象があります。

 

つまり、できればペルソナは「流動性があった方がいい」という解を私は得ています。

 

「固定的でもいいんだよ、それがあなた(ペルソナ)なんだから」

 

なんですが、全体の融通というか、「社会的ロスを防ぐ」という観点からすれば

 

「流動的だったら都合がいいなぁ」となるのです。

 

社会がその流動性を獲得するためには「第3段階:欲望が充足しなくても問題なくなる」に達することが必要になってきます。

 

なので、私の希望としては「それぞれみんなのペルソナが、順調に成熟していって、第3段階に達すると嬉しいなぁ」となるというワケです。

 

と言ってる私はバリバリ、タバコを吸ってゲームもしているので、私も順調に成熟したいなぁと思っているのですが、

 

「今自分がいるのは第1~2段階なのだから」

 

それをきちっとやる、というのが正しいアクションになります。

 

まぁ「自分のお楽しみ」はみんなじっくり味わいたいと思いますが、最終的には、必ず第3段階にいくんだよ、という「先の見通しを持った上で」

 

自分のペースで進捗を進めていってもらえれば、私は嬉しいです。

 

「色んなペルソナ、みんな在っていい」 みつを

 

今回の日記は、けっこう難しいことゆってるなと思いました。