私は、こういうと怒られそうですけど、無職なので「ヒマ」なんです。
一日中、部屋の隅っこで体育座りして過ごすのも、試練だと思って本気出したらやれるんですけど、
希望としては、ノーマルな生活を送りたいので、
家事をこなしつつ、その他の時間で、トラック運転ゲームとか、読書とか、主に趣味を楽しんで過ごしています。
で、昨日から、英語を趣味に加えようと思い立ちました。
私は言葉を扱うのが得意な文系人間なので、
もしも「英語が読めたら」、英字新聞を直に読めて、ニュアンスまで嗅ぎ取ることもできそうだし、英語圏の人の考え方も、わかるようになって楽しそうだなと思いました。
あと、英語での思考と、日本語での思考って、フォームが変わってくると思うので、その差異を突き止めると、
思考スタイルの変化や、自分の思考についての客観的解釈が可能になるな、と成果が期待できるな、という見込みもあります。
で、アマゾンで50円で、「East of Eden」という英字の小説を買って、読み始めています。
あと、ジーニアス英和辞書を買って(父親が観てるテレビドラマ「舟を編む」に影響されました)、それを片手に、解読しながら読んでいます。
「英語を勉強しよう」じゃなくて「英語を読みたい」っていうモチベーションで動いてますので、
「まず文法から」「まず単語を覚えてから」という形から入るアプローチではなく、
「まず英文にぶつかってみる」という野生な感じで、営みを楽しもうと思います。
英字小説を読んでいると言っても、能力的にスピードが上がらないので、
「一日、一段落」くらいの牛歩で読んでいます。
で、今さっき2段落目を読んだのですが、けっこう文法がわからない箇所がありました。
例えば、
原文:
"I remember my childhood names for grasses and secret flowers."
翻訳機和訳:
「私は子供の頃の草や秘密の花の名前を覚えています」
だそうですけど、疑問点は2つあって、
①ここでの「names」は、「remember(動詞)」の目的語で、その修飾語として「my childfood(子供の頃の)」となっている翻訳になっていますが
「子供の頃の(草や花の)名前」って、なんか変だな、と思います。
名前は、大体普通は、いつの時代でも同じだろうという固定観念があるからです。
日本語ではあまりこういう言い方はしないと思います。
アメリカでは、「○○時代の名前」っていうのは通例ある表現なのか、それとも文学的な独特の表現なのか、そこの区別が知りたいです。
②原文では、remember names 「for」 grasses and secret flowers. とありますが。
「草や秘密の花」「の」「名前」「を思い出します」であるならば、
「の」は「for」ではなく、「of」が正しいのではないか?という疑問があります。
辞書を調べると、「for」には「~について」「~の点において」という意味があるそうなので、
「草や秘密の花」「という点において」「名前を覚えています」というニュアンスなのだろうか、と一応納得しましたが、
通例、ここは「of」じゃなくて「for」がしっくりくるのかどうか、それとも、文学的なレトリックなのか、そこの区別もはっきり知りたいと思いました。
こんな感じで、辞書や翻訳機を使っても、わからないことがあります。
答えを教えてくれる「先生が欲しいな」って思いました。
早くAI英語教師があればいいのにな、と思います。
ただ、細かいことはよくわからないのですけど、「大まかな」文章の意味はわかるので、
自分で小説の英文を声に出して読んでみると、意味がわかって、楽しいです。
天空の城ラピュタのムスカの「読める、読めるぞ~!」の気分をプチ味わえます。
毎日継続してたら、いつのまにか語彙も文法の知識も増えてくるだろうし、
いつかアメリカの新聞とかを直に読んで見たいな、各国首脳のスピーチを直に聴き取ってみたいな、と夢が膨らみます。
ちなみに、日記を書くことに関しては、英語ではかなり難しいと思います。
なぜかというと、英語はまず「主体」(主語や名詞)が固定されて、それを修飾する言葉が「芋づる」のように繋がっているからです。
私の日本語操り術においては、「主体」は固定せず、コロコロ変える思考の表現なので、これは結構難しいです。
「私はこうしたいんだ」「私からみたらこう見えるんだ」
っていう「自己都合や主義主張ドカーン!」て感じの文章なら、英語はマッチすると思いますが、
複数主体をカバーする志向の文章であるならば、それだとけっこうマッチしません。
でも、がんばって英語で書いてみると、新たな発見があると思います。
もし英語を挫折しなければ、数年後に、英字で日記を書いていると思います。
乞うご期待ください。