力の効能

私はよく、「○○はザコだ」とか「持ってる欲望の大きさの割に、能力が伴っていないのは問題だ」とか言いますが、

 

これは私の性格的な難点(他の人と良好な人間関係を築く観点においては)でもありますが、

 

それを直さずに放置しているのは、本心から「能力があった方が良い」「もし能力が無いと死活問題になる」と思っているからです。

 

ただ、「力」っていうのは、あればあるほど良いとは思っておらず、「自分が生き残るために」「必要な分の力があればいい」という加減で考えています。

 

だからこそ私は「過剰な能力は放棄して、必要なだけの力を備えるスリムアップ志向が、現時点では最もベターではないか」という提案をしました。

 

結果、その提案は却下されました。

 

つまり、「力はあればあるほどいい」「常に最高水準の能力を追求しつつ、同じ動作をずっと繰り返す」というやり方だそうです。

 

この志向と、私の考えと、どちらが間違っているかというと、私の方が間違っています。

 

結論はそうなのですが、「私」は自分の考えが間違っているとは思っていません。

 

上司とは視点が異なるので、それぞれの目線で「正しいこと」が異なるのは、ある意味当たり前のことです。

 

私は「いや、そうじゃないだろうな」と思っていますが、別にその「正しさ」を武器にして、何かを斬りつけまくる「行動」をストップしているので、齟齬はでないから問題ないと判断しています。

 

私も何か環境が変わって、視点が変われば、「あぁ、力は必要最低限で良いという昔の判断は、誤りだったな」という心変わりをすることは十分想定されますし、

 

おそらくそうなるだろうな、と予想していますが、これはあくまで予想なので、

 

私の今の状況把握における、判断としては、やはり「力は過剰にたくさん要らない」が最も精度が高いと思っています。

 

で、なぜ「力は最低限で良い」と思っている、その根拠について書きますが、

 

そもそも、「力」があると「目に見える脅威に対しては有効な対処ができる」という利点があります(だからこそ力を求めています)が、

 

なんでもありの世界においては、「目に見えないところからやってくる脅威」というのは常にあるのです。

 

例えば、「カゼをひいて、せきがゴホゴホでる」という脅威がやってきた場合。

 

めっちゃよく効く「カゼ薬」を自分が持っていたとします。

 

この「カゼ薬」は、飲んで数分でカゼが治るし、副作用もほとんどないとても強い「力」を持っています。

 

飲んでみると、数分後に、見事にせきは止まりました。

 

「やったね、これで安心だ」です。

 

しかし、なんでもありの世界における「目に見えない脅威」というのは、

 

このカゼ薬が「効かない」ということが起こりえます。

 

なぜか効かない。

 

「どういうことなんだ?」と思うでしょう。

 

「こんなの普通の状況じゃない」「一体何が起こっているんだ?」となります。

 

で、「一体何が起こっているのか」そのメカニズムを解明して、さらに強力な「カゼ薬プレミアム」を開発したりするのですが、

 

それが追いつかない場合もあります。

 

今持っている薬の力では、「どうにもできない状況に追い込まれる」っていうのは、常にありうると私は想定しています。

 

で、薬をどんどん強化していく志向を突き詰めていくと、

 

「もう何も怖くない」ってなります。

 

それが一番いいじゃないか、と思われると思いますが、

 

そうなってくると、逆に怖いのが、

 

「対処のしようが無い、一撃必殺の槍」が飛んでくる公算が非常に高くなる、ということです。

 

なぜかというと、「対処可能なのは」「目に見える脅威のみ」だからです。

 

「目に見える脅威」は「すべて対処可能である」という状況下においては、

 

「目に見えない対処不可能な脅威」「待ち」になるということです。

 

つまり、薬という「力」の価値というのは、

 

「脅威に対処する」という観点でいうと、明らかに「限界」がある。

 

「限界」は、「目に見える範囲にしか及ばない」という認知能力の限界に依拠しています。

 

「力」の価値には「限界」があるので、

 

要は、「その力があることによって」「安心できるかどうか」が重要になってくるのです。

 

「この力さえあれば大丈夫だろう」「ファイティングポーズを取り続けることができる」

 

そういう主体の「戦う姿勢」の都合により、必要性が生まれると解釈しています。

 

この解釈においては、じゃあ「力のある者」は、

 

「それだけの力がないと、安心できない臆病者」ということになります。

 

つまり、力を求める私は、臆病者です。

 

力がなくても、「大丈夫だ」と思える人の方がはるかに肝が据わっている勇者だと言えます。

 

ただ、私は臆病であることをマイナスだと思ってないし、「生き残れば臆病者だろうがかまわない」と思っているので、

 

そのままでいます。

 

臆病すぎて、ファイティングポーズを取らずに毎回逃げ出しちゃうのは、まずい臆病者なので、

 

そうならないように、必要最低限の「力」を求めているのが私です。

 

ちなみに「必要最低限」がどの程度かは、見ている状況下によってコロコロ変わります。

 

その時々によって、「必要な力」は変わってくるということですね。

 

今のところ、私はのんびり生活しているので、あんまり「力」の増強が必要な状況ではないですが、

 

例えば、「会社の経営状況悪いよ」とか「仕事が上手くはかどらないよ」とか困った状況におかれている方がいたら、

 

そのために必要な力を身につけてみるのもいいかもしれません。

 

その辺の判断はご自由です。

 

おわり