落ち着きたいときはトラックゲーム

前回の日記は、ちょっと偽善者っぽい面が出てしまいましたが、

 

結論を言うと、分業システムが確固としてあるので、その枠内での生命活動が期待されているようです。

 

つまり、ある種の機械装置のように、困難な状況の人を片っ端から救いまくるアクションは、それほど求められていない。

 

人間にはそれ以外の仕事が求められていて、それをやればよい、ということです。

 

ただ、救うべき対象を救うというのは、私が留意している点が2点あります。

 

ひとつは、

 

人間目線での「救う」という物理現象が、固定された特定の関係性であるということ。

 

「救う」というパズルピースの型が、「限定されすぎている」ため、そのパズルピースではカチッとはまらないケースがままある。

 

→だからそれは精度の面で適当でない、という状況があり、どうやらその場合の方がありふれているようです。

 

ふたつめは、

 

仮に、確固たる分業システムがあって、それと齟齬のないように動くことが求められているのが現実であっても、

 

地球環境が、その分業システムが存在しない前提の上での、ネイキッドな環境であるという可能性もある。実際は違くても、その可能性は常にあります。

 

だからこそ、「そういう状況下で、自分ならどうする?」という問いかけは常に必要だろうと、「私は」思っています。

 

「分業システムで、上手くやってくれるんでしょ」みたいな依存は、ぬるいと判断しているということです。

 

ただ、そのぬるさを克服するために、過剰な精度の低い「救う」アクションをすることは、実際問題として「齟齬となる」ため、

 

「今を生きる」という観点から、それは防ごうという判断もまた正確であろうという判断をしています。

 

つまりは人間は圧倒的無力であり、分業システムに適度に依存し、自らの何らかの役割を全うすることが、よさそうだ、ということです。

 

長くなりましたが、私はそのような留意をしています。

 

タイトルが「落ち着きたいときはトラックゲーム」と書いているのに、全然本題に入れない・・・

 

私は今日、徹夜気味で、眠いのですが、

 

トラック運転がちょっと上手くなりました。

 

3つの連結トレーラー、長いトレーラーを運転する際には、

 

ヌンチャクのような連結混だと想定して、

 

右にハンドル切って曲がったあとに→ハンドルって元に戻ろうとするのですが

 

その連結混が「曲がり」→「戻る」

 

この一連の動きをシミュレーションして、道路のカーブ曲線に適合させていくと、

 

適切なスピード・適切なコース取りで曲がれることがわかりました。

 

リアルのトラック運転でも、多分同じなんじゃないか?と期待していますが、実際にはどうなのかわかりません。

 

ずっと好きなことを続けていれば、新たな発見や技術の向上があるので、楽しいです。

 

とりあえず、眠くてフラフラですが、通常運転しています。

 

おわり