悪意の気持ち

生産的なことは、大体分業すれば上手くいきます。

 

それぞれが自分の立場にマッチした能力なりを磨き、社会でお互いの良い面に頼ったり、利用したりして、「頭数の多さの強み」によるベネフィットを享受できます。

 

私の最初の一歩も、分業を前提とした方針設定でした。分業ナシ縛りであるならば、間違いなく目立った欠点のないバランス型の方が優れています。

 

しかし、バランス型で、「自分周りのこと全部自力でやる」のはなかなかハードだし、結局幸せを追究するのであれば、分業は欠かせないように思います。

 

で、この常識「幸せになるためには分業が必要だ」という前提が、昨今崩れてきているようです。

 

そもそも存在について書くと、

 

「存在している」ということは危険な、やばくておかしな状態であるという認識がベターだと思います。

 

「いや、存在していることは当たり前だろう。そして存在しているのだから、できるだけ苦しみを避けた方が(幸せになったほうが)良いに決まってるだろう」

 

という意見には私も同感です。しかし、状況はちょっとやっかいです。

 

「存在している」何かが見えているとして、もしもそれがどんなであろうと「あばれる恐竜のようであっても」「美しく輝く宝石であっても」必ずそれを「邪魔」だと思う何かはいるのです。

 

「邪魔だと思う」というよりも、実害を被っている。

 

「お前達(例えば生命)がいるせいで、こんなにも苦しい」

 

「だからお前達は苦しんで滅びなくてはいけない」

 

という発想をするのが悪意です。

 

まぁ、悪意目線にとって「諸悪の根源」である、生命などを滅ぼそうとするのは、「あるべき姿に是正する」というアクションなので、ある程度筋は通ります。

 

すべてが滅ぼされ、存在がなくなり、とりあえずは無という均衡で、可でしょう。

 

しかし、実際にはそうなっていませんね。地球はあいかわらず適温で(最近温暖化で暑くなっていますが)、人間は培った科学技術でなんかのファクトリーとかを稼働させて、商品の陳列棚には優れた商品が並んでいます。

 

「これって何なの?」と思うのが自然です。

 

ここまでは誰でも同意できそうですが、おそらくここで止まるでしょう。私も止めていました。

 

詳しい事なんて、どうでもいいから、とにかく自分周りのことを上手くやるよ。自分の立場でがんばれば、きっと上手くいくから。(分業を是とする発想ですね)

 

なので、悪意が地球を覆っているとしても、

 

「悪意は悪意で上手くやれよ。最終的に人類滅んでもしょうがないかもな。それまでの途中経過はこっちは好きにやるよ。そっちも好きにやって満足いく形にすればいいよ」

 

という態度で、問題なく、○○○○年後(知りませんが)、なんだかんだあって、地球から生命がいなくなりました。みんなできることをがんばりました。悪意も目的を達成しました。チャンチャン。とりあえず、ここまではいいでしょう。

 

しかし、これじゃ良くないらしいです。なんか意味不明ですね~。

 

つまり、悪意が、ちょっとおかしいのかもしれません。

 

私の考えというか、一般的に考えうる、ひとつの可能性を例として提示しますが、

 

「今、地球を覆っている悪意は、純度100%ではない」

 

悪意は、悪意のみでは苦しむことができないのだと思います。構造的な問題です。

 

つまり、悪意という凶暴で恐ろしい嵐の中に、ポツンと、「善意」つまり「存在していたい」という意思の欠片が入り込んでいる。

 

その善意があると、悪意は苦しくなります。

 

「オマエノセイデ オレハ コンナニ クルシインダ!」

 

じゃあ、その欠片の善意を滅ぼせばいいじゃない。実際そうなのです。

 

しかし、この悪意は、この善意を「自分の一部だ」と思いたいようです。簡単に言うと、「守りたい」

 

大いなる悪意が、ひとかけらの自分の善意を守るために、代わりに地球の生命などを苦しめて、犠牲にして、バランスを取っている状態。

 

バランスを取ると言っても、悪意はかなり膨張していて、人間である私にはあんまり手がつけられません。

 

私の意思決定のスタイルでは、このような暴威に対しては、退きます。

 

まともにぶつかるとひどいことになる、という発想もあるのですが、それ以前に「そもそもこの悪意に用がない」からです。

 

別に悪意が膨らもうが、制御する機能がないなら、そういうこともあるでしょう。「知らねえよ勝手にやれよ」です。

 

で、今勝手にやっている状態なので、良いと言えばいいのですが、この膨らんだ悪意の暴威にさらされているのは、「私だけではないので」「まずいな、と思っています」。

 

横のつながりですね。

 

このまま、悪意の膨張を進めていっても、いつかは強固なシステム(例えば宇宙システム)が瓦解するところまでいくと思います。

 

そうなると、無秩序の大嵐が吹き荒れ、ひどい目に遭います。私もひどい目に遭います。ひどい目に遭わないやつを探す方が難しいほどに、全員巻き添えになります。

 

そういう状況に対しては、私も受けきれませんので、おそらくウギャーとか言うと思いますが、ひとつのアイディアとしては、その壊れるシステムを、できるだけシンプルにしておくという案を提示しました。

 

システムが壊れると、しかもそれが複雑な機構で、多数の機能を持っている場合、かなり手の付けられないむちゃくちゃな暴走が起こりえます。というか起こります(断言)。

 

それを受けるのはバカらしいので(だれも得しない)ので、どうせいつかシステムは壊れるんだから、できるだけシュッと、もってるカードも整理して、必要最低限にして、生命の身体のつくりもシンプルにして、というふうに工夫すれば、

 

いずれ来る暴威、無秩序に対しても、「被害を軽減する」ことができます。

 

でもまぁ、軽減できるだけなので、押さえ込むことはできません。私も無に帰すまで、苦しむことになるでしょう。

 

でも安心してください。秩序なんて「あった方が良いに決まっている」という価値があるだけであって、無秩序が普通ですから。

 

無秩序を死に体で漂っていたら、もしかしたら運がよかったら、未知のどっかの存在が、仲間に入れてくれるかもしれない。

 

それが幸か不幸かは別ですが。

 

ここまでを踏まえた上で、人間としての私の考えを簡単に書きますが、

 

「生きるのもいいけど、悪意に頼らず、自分で自分を無に帰すことができたら一番いいよね」

 

というものになります。

 

イメージとしては、限りなく自分をシンプルに、究極までシンプルにしていけば、できそうな感じはあるんですが、とりあえず今はできないし、人間として生活している以上は、やる予定はありません。

 

いよいよ、宇宙システム崩壊が見えてきたら、とりあえず無秩序にボコボコにされて、その過程で、無に帰すことができたらいいなぁと思っています。

 

私のひとつの考えでした。