私は平和主義者なのですが、それはその方が楽ってだけで、
「平和だと都合が良い、楽しく生活しやすい、だからそれがいい」と思っているだけです。
要は、私目線での「都合の良さ」です。
ただ、前の日記に書いたように、私目線は無数の視点のひとつにすぎないので、
「他のやつらは、オレの都合の良いようにしろよ(強制)」とは言いません。
周りは、それに従う筋合いがないからです。動機が存在しない→やらない。
もし、私ひとりぼっちなら、「じゃあ自分の都合の良いようにしようかな」と思いますが、私はひとりぼっちではない(他者が存在している)という事実認識なので、その筋もナシです。
ということで、「平和って良いよね」は常に周りから否定されうる、困った状況だということです。
実際、戦争は起こってますし。うん、「この認識は、事実と齟齬が無いな」と解釈しています。
じゃあ戦うケースもあるだろう、と。
で、「敵を倒す」というゲームにおいて、ひとつの定石を書きます。
それは、「敵が、自滅してくれたら楽だな」です。
こちらが、「精度高く、ナイフを肋骨の間に滑り込ませて、心臓(急所)を突くことができなければ」「勝てない」と言う状況ならば、
がんばって、ナイフを練習しなきゃいけなくなるし、反撃も躱さなきゃいけないし、つまり簡単に言うと「大変だな」ってことになるんです。
でも、もし相手が、「自分からコケて、地面の石に頭打ってチーン」となるのであれば、
こちらは「何もしなくてもいい」ということになります。
見ているだけでも良い、あるいは、見る必要もなくなる。無視してもいい。
だって勝手に自滅して倒れるんだから。
これは、とても重要な点であって、
あいてが超巨大な戦力を有している恐ろしい帝国であっても、
敵対するのが、私のような1人の行動力のないニートであっても、
その巨大帝国が、「勝手に自滅する」ということが確定しているのならば、
私は、「あぁ、なんもしなくても勝てるな」「じゃあほっとこう(勝手に相手は滅びるだろう)」という判断に落ち着いて、まったく脅威には感じないのです。
帝国の屈強な兵士に、敵であっても、「やぁ、元気かい?」とフレンドリーに話しかけることもできます。だってこの敵は自ら進んで滅びるザコなんですから。
この話を逆方向に捉えてみると、
「じゃあ自分は」
「自滅しない方がいいな」という発想になります。
敵とのバトル云々以前に、「進んで自滅するようでは、戦う土俵に上がるだけの資格もない」という事実解釈になるわけです。
だから、「その資格を得ないと戦えないな」「自滅は防ごう」となるのです。
じゃあ「自滅ってなんなのさ」「どういうメカニズムで自滅って起こるの?」
と考えた場合、
その大部分が、「基礎部分に欠陥がある」場合が多いです。
「見た感じ、豪華で立派な作りの建物が、壊れちゃった」
なぜか
「外からは見えにくい、建物の基礎部分が脆弱だったから、あるいは、地盤がゆるゆるすぎたから」
というケースがとてもありふれています。優先してカバーしなきゃいけない「有名な」欠陥だということです。
なので、根本的な部分をよく見る「哲学」とか、そういうアプローチをする奴が絶対に必要になるわけです。
「もしも、誰かと敵対する可能性を考慮するならば」の前提ではそうです。
でも実際には「自分の目から見ると、『世の中ってそうなってるから』『そういうもんなんだな』『そういうもんだと思って、楽しくやろう』」
と発想する、つまり、自滅リスクを放置している人は、おそらく多いです。
その自滅リスク対応が嫌なのであれば、「それを専門にやる人間に、ちゃんと外注した方がいいです」と言います。
どうしても、自滅ではなく、「敵のせいで自分が滅ぼされそうだ」という解釈が強く濃くなってる場合は、
「その敵に対応しよう」「敵さえなんとかすれば安心だ」
と言う発想になりがちですが、
それで「足下お留守になって」「自滅するのは」
悲劇的だなぁと、面白くないなぁと、私は思ったりします。
現実には、「自滅ノーカバー」だから「そのツケも、他者に払わせよう」
という、純粋な悪を演じる「人間」もいると思いますが、
あんまり、それ激しくやられると、やばいことになるぞ、程度考えてちゃんとバランスとってやったほうがいいぞ、と心配になります。
まぁそういう悪人間も、それだけ、「存在したい」ってことですから、その根性は評価すべきですが、
「いかんせん、やり方が雑すぎる」場合は、「もうちょっと上手く、洗練させてやってよ」とお願いをしたいと思います。
結論としては、
根本的な部分をちゃんと保守すれば、自滅が防げて、やっと敵対行動が取れるようになるよ、その資格を得られるよってことです。
ご参考になれば幸いです。