ちょっと参考になりやすい、ひとつの世界観モデルを書きますね。
簡単に言うと、「視野が広がる」「視野を広げるってどういうことなんだろう?」ということに気づきやすいモデルというわけです。
なので、今から書く世界観モデルを「信仰した方が良い」と言っているわけではないですよ。
そのモデルを「上手く解釈して」「みなさんの良い意味の『養分』になればいいな」「おそらく養分となるだろうな(結果的に)」と私が判断して、この日記を書いているということです。
-----
<とある世界観>
まず、私たち全員は「リンゴの実」です。
リンゴの実は、いろんな細胞で構成されていますが、とにかく、
「甘くて大きいのが良いな」っていう価値観が共有されています。
これは「幸せだったら良いな」を「甘くて大きいのが良いな」に変換するようなものです。
「自分たちはリンゴなのだから、甘くて大きくなれば良いんだ」そう思うのは役割分担の観点から言うと、正しいことです。
「甘くて大きいリンゴになろう」それは正義なのですが、
「そもそも」
木の枝から落ちて、地面に落ちたら、それはまずいことですよね。
地面に落下すれば、時間が経って、腐って土に還るだけですから。
まぁ、リアルでは、「腐っても、リンゴの中の種が、また芽を出せばOK」なのですが、その設定は今の文脈では無視します。
木から落ちてしまうと、リンゴ的には、「終末」「ゲームオーバー」です。
それは「やだな」と私は思います。だって「甘くて大きくなれなくなるから」。
で、ここで問題なのですが、
「リンゴ自身」は、「自分が木から落ちないようにする」ことに関しては、まったく制御できないという事実があることです。
自分のデッドオアアライブを、コントロールできない状態。
じゃあ、誰がリンゴの生殺与奪権を握っているかというと、
それは「リンゴの実と、木の枝の接続部分」です。「花柄(かへい)」というらしいです。
リンゴを食べるときは、その花柄は、取り除かれて、重要じゃ無いような気がしてきますが、
リンゴの生殺与奪権(実が落ちるかどうか)についてのキープレイヤーは「花柄」です。
もしもリンゴサイドが、「甘くて大きくなりたいんだ!それがマイ正義!」と、がむしゃらに巨大化したら、
花柄はどうなると思うでしょうか?
「やばっ、重い重い・・・これやばいわ!」となるでしょう。
花柄サイドも、リンゴが大きくなるかどうかの制御が効いていないんです。
花柄はいよいよとなったら、「自分が折れて」「終了」「ゲームオーバー」です。
だから、花柄側は危険はないんですけど、「リンゴが重すぎたら」「う~ん!重い!」となるのです。
この状況での最適解はなんだと思うでしょうか。
正解はいろいろあると思いますが、
私だったら、こう答えます。
「リンゴは、花柄を思いやって、ちょうど良い重さになるように、『花柄とリンゴが調和して』、一緒に同じダンスを踊るように、上手く連携できればいいな」と思います。
だから、リンゴにとって、花柄は最重要プレイヤーです。ちなみに、私もリンゴサイドですよ?
花柄が最重要プレイヤーですけど、じゃあ「花柄は神様、めっちゃ偉い」でしょうか?
否、リンゴの木全体を見ればわかりますが、花柄も、ただのパーツ、部品でしかありません。
つまりはそういうことです。
もっと深いことを言うと、「これは部品」「これは主役」とか、区別する必要ってそもそもあるんだろうか?
花柄「わたしはリンゴの木そのものです」
リンゴの実「わたしはリンゴの木そのものです」
と思っても、支障はありませんよね。むしろ、その一体のものを、恣意的に区別したり、差別したりする方が、「不必要」な気がしてきます。
この辺は、深く掘れば面白くなると思って書いているので、読み飛ばして頂いてもけっこうです。
ということで、リンゴ「甘くて大きくなろう」それをどんどんやっても、
結果としては、ゲームオーバー、腐って朽ちる、それが早まりそうだな。
というのが精度の高い現状認識だろうな、と私は思います。
まぁこれも、ひとつの世界観(フィクション)に過ぎないのですが、
このフィクションの中に通っている「考え方」は、役に立つと思います。
では~