私から、課題を出します。
今回の日記を読んでる人が、別にその課題をこなさなきゃいけない「理由」も「筋合い」も「動機」も「メリット」もない、というケ-スはありえますが、
そもそも読者0人も想定して書いている日記なのでご容赦ください。
読者0人であっても、どっかの地中の蝉の幼虫に届いているかもしれないですよ。情報世界は面白いです。
ということで、「人を試すような質問」をするので、それをがんばって答えてみると、良い発見があるぞという主旨で課題を出します。
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<質問>
あなたは、どのような人ですか?
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この質問は、前に書いた日記でも触れましたが、
ぶっきらぼうに言い換えると、「お前は『何』だ?」という質問です。
この質問に対して、どのように答えるでしょうか。
「自己紹介をしてください」とはちょっと違います。
自己紹介は、なんかのグループ、組織、社会に自分を認知してもらって、できればポジティブに迎い入れてもらおうという趣旨でおこなうものです。
「あなたは、どのような人ですか?」という質問は、
つまり、「あなたは自分をどう定義してますか?」という自意識に問いかける質問です。
賢くてちょっと生意気そうにしてる人がいたら、この質問をぶつけてみましょう。
「あなたは、どのような人ですか?」
この質問に対して、「えっ・・・」と動きが止まったりする人は、ある意味正常です。
私もそうですけど、「自分のことを正確に把握している人間は、おそらくいない」と言い切れるからです。
質問に対して、リラックスして、好きな趣味とか、やってる仕事の内容とか、フランクに話せる人は、(私の個人的な印象ですが)「能力的に」信頼に値します。
能力的に信頼できるだけなので、「実は詐欺師でした」というオチはありえますが、
とりあえず、「答えに窮する」「答えられないことを恥だと思う」レベルの人は、あんまり能力的に頼るのは難しいと思います。
「どうせ自分のことなんか正確にわかるわけないんだから」
「適当に、自分の知ってる(思い込んでる)範囲で、主なことを発表すればいいだけです」。
私も、この質問に答えてみようと思います。
<質問>
あなたは、どのような人ですか?
<私の回答>
私は、地球に住む人間で、
世界は情報の集まりであるという考え方を好んでいます。
頭でっかちで色々考えるのが楽しくて好きですが、一方で、行動力はあまりないので、今は親のお金でニート生活をしています。
世界は情報の集まりであると思っていますが、
それはひとつの解釈方法にすぎず、決定的だとは思っていないので、
普通に朝ご飯食べたり、ゲームして遊んだり、父親と話したり、うんちしたりして、生活を営んでいます。
誰が読んでるのかもわからないような変な日記を書いて、情報世界の水面に小石を投げるような行動を細々としています。
あと好きなことは、色々チャレンジしたり、ゲームしたり、他のユニークな人の頭の中を覗いたりするのが趣味です。
基本的に、平和主義で、のんびり普通にすごせたら満足します。
書きました!長い。
書き出したら、けっこう自己紹介みたいになりましたが、
要は、
「私は自分のことをこのように定義していて」
「その定義は、誤りを含んだ、思い込みにすぎない」
ということです。
だから、明日の私は、違う回答をするかもしれません。
<違う回答>
私は、お腹がいたいことに耐えられない弱い人間です。
どうして自分のような誠実な人間が、お腹が痛くなるような目に遭わされるのか、解せません。
私の腸内は、世界で最も優れている細菌の精鋭の集まりであると信じています。
こんなことになるなんて、きっと恐ろしい悪意にさらされているんだと思い、
絶望しかありません。
みたいな回答になるかもしれません。
どのような自意識を持っても自由なのですけど、
その自画像の選択如何によって、「当人の動きが決定されうるので」
この質問はけっこう重要です。
例えばイスラエルのネタニヤフ首相が、
「私は、必ずやすべてのパレスチナ人を殲滅し、国家の保全を勝ち取るキングです」
と定義しているのならば、
ネタニヤフ首相の意志決定や行動も、この定義に沿う形になります。
逆に、
「ユダヤ教徒に向けられるあらゆる増悪に対して、自らと同胞を信じて、最善を尽くして向き合い続ける覚悟を持つキングです」
という定義であるならば、
行動も精度が上がってくるでしょう。
そういう、人の「自意識」とか、「行動原理」とか
かなり重要な情報が入ってくる手段として、この質問はシンプルですが優れています。
もしも「誰かを試したいな」と思ったら、
「あなたは、どのような人ですか?」
と問いを投げてみてください。
まぁ「誰かを試したい」と発想すること自体が、いじわるかもしれませんが。
おわり