本質

よく、研究者の人が「事の本質を見きわめなければいけない」と、ゆっているのを見るのですが、

 

私は、「本質」って何なのか、よくわかっていません。

 

ChatGPTに聞いてみました。

 

質問:本質とは何ですか?

 

回答:

「本質」とは、物事や概念の根本的な特性や属性を指す言葉です。それは、その物事や概念が何であるかを定義づけ、それを他のものと区別する要素です。本質は、それ自体が不変であり、そのものの本来の特性や本質的な性質を表現します。例えば、物理的な物体の場合、その物体の質量、形状、色などがその本質的な特性であり、それらがその物体を他の物体と区別します。また、抽象的な概念の場合、その概念の定義や特徴がその本質を構成します。本質は、物事や概念の核心を理解する上で重要な概念です。

 

なるほど、「不変的に、他と区別される要素」が「本質」であるってことですね。

 

ということは、区別するのは、それを見ている主体に委ねられている、と。

 

人間が言う「本質」とは、人間の身体的なハード面に普遍的な側面があって、その身体共通部品を用いて見た場合の、「不変的に、他と区別される要素」ってことですか。

 

これちょっと無理筋だなぁと思います。

 

例えば私、水道から蛇口ひねると、「水が出てきてるなぁ」と思いますけど、

 

理性では、そもそもH2Oの一粒一粒、違うと思ってますから。

 

「水の本質とは?」以前に、「水ってなんだよ(自問自答)」って思うタイプです。

 

「よくわからん似たような粒々の集まり」=「水」の本質ってつまり、

 

「水素2つに酸素がひとつ」ってのが「本質」に該当するのでしょうか。

 

なるほど、確かに、顕微鏡で見たら誰しも、

 

「そうだ、水素2つに酸素ひとつになってるな」と観測できるかもしれないので、それが水の本質かもしれないですね。

 

でも、それって「そう見る人はそう思う」だけだし、「そう見えないケースもありえるし」、本質じゃないような気がするんですけど。

 

つまり、本質とは、正確に言うと

 

「人間身体目線で、物事において不変で核心っぽく思える要素」が「本質」ってことでしょうね。

 

なるほど~、それはそれで、追求するのは良いことかもしれませんね。

 

ただ、私としては、それもひとつの見え方(視点)ベースにすぎないと思っているので、本質を見ようとはあまり思わないですね。

 

私は、物事の構造の方が気になりますね。

 

なぜ構造がわかると嬉しいかというと、「作用」に関する情報が手に入るからです。

 

例えば、Aさんの(衝動的行動含む)意志決定システムの構造がわかると、

 

「どういう環境因子の入力があると」「その人がどのような行動を取るのか」について

 

予測ができるようになります。

 

それをAさんだけでなく、複数の人間分分かれば、そのグループ(社会)が、どのような動きをするのか、予測できます。

 

その動きを私の意志決定システムに入力して、適切な対応が取れるようになる、というカラクリです。

 

ただ、実際には人間の作用は難しいんですけどね。

 

ただ、例えば「会社の経営者」とかなら、「行動に対する制限」も大きい(建前を守るという縛りがある)ため、

 

作用が読みやすくなります。

 

で、その作用は、「本質」ではないですね。

 

ただ、「私がその作用の情報がないと困るから、欲しがってるだけ」です。

 

で、「作用」面でのアプローチを長年やってたんですけど、

 

近年、「関係性」面からのアプローチが強いぞ、という発見がありました。

 

「関係性」で、目に見えるすべてを斬るってことです。

 

ドゥルーズ脱構築っぽい考えですね。

 

ただこれはとある事情により、ストップして、全くやっていません。

 

とにかく、「本質」追いかけたい派の人と私との違いは、

 

「不変なもの」を欲しいか、欲しくないかってことですね。

 

この辺は趣味の分野なので、自由でしょう。

 

不変なものか・・・難しいですね。

 

そんなものあるんでしょうか。ちょっと信じがたいです。

 

例えば、

 

「エジプトにあるピラミッドの本質って何ですか?」という質問があったら、どう答えるべきでしょうか。

 

エジプトのピラミッドの本質は・・・不変で核心的な要素は・・・

 

「積み上げられたひとつひとつの岩の粒々」

 

あるいは

 

「王への畏敬」

 

でしょうか。

 

岩の粒々が集まって、ピラミッドが構成されている、というのは核心だと思うし、

 

又は、

 

王への畏敬が、あれだけの(作るの大変な)巨大建造物を成した、とも言えると思います。

 

四角錐の形は本質でしょうか?

 

これは、「ピラミッドの定義」次第で変わってきそうですね。

 

直方体のピラミッドを容認するのであれば、四角錐に秘められた辺の角度とかの幾何学的な要素は、本質には当たらなくなります。

 

逆に、「ピラミッドと言えば四角錐なんじゃい!」と決め込むのであれば、

 

その形の特徴とか、なぜ「王への畏敬」が「四角錐」の形で具現化したのか?とかも本質になってくると思います。

 

なので、「本質」を語る前には、

 

その対象の「定義」が決まらないと、本質も決まってこないですね。

 

で、対象の「定義」って、おそらく数学でいうと公理系に該当すると思うのですけど、

 

哲学的には、この「定義」からして議論紛糾する要素なんですよ。

 

ロジックの基礎部分ですね。そこを疑うのが哲学だと思っています。

 

定義って難しいです。

 

人間がやる定義は99%以上思い込み、あるいは、

 

「オレ(達)がそう決めたんだから、そうなんじゃい!(オレたちがルールだ)」

 

っていう我が道を行くスタイルですから。

 

私は、人間の判断とは関係なく動いている物事(例えば「見えない」物事とか)も対象にするので、

 

「オレがそう見てるから、その対象の定義はこうなんじゃい」

 

とはあまり言わないですね。そこまでの権力を持ってないと思っています。

 

とりあえず、この日記で考えてみて、

 

「本質」追求ゲームというのも、アリだなぁと思いました。

 

不変か・・・確かにもしも不変なものがあったら、それを基礎にして理論を積み重ねるだけでOKってことになるので、

 

それがあったら簡単になってゲームがラクになるかもしれませんね。