【趣味日記】小論文-行動と心理的結果の結合について

小論文を書こうと思います。結論から書いて簡潔に。

 

タイトルは「行動と心理的結果の結合について」です。

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結論:行動と心理的結果は、常に結合されているとは限らず、分離することによって、トラウマや絶望の回避、及び欲望の制御に効果がある場合がある。

 

ここで言う「行動」とは、2種類あって、「能動的行動」と「受動的行動」です。

 

「能動的行動」の例としては「トイレでうんちをした」

 

「受動的行動」の例としては「SNSで『お前はバカ』とコメントされた」

 

自ら行う行動と、「~された」の受け身の行動、の2種類ということです。

 

それで、いずれの行動であっても、一般的には、「心理的結果」と結びついています。

 

■「行動」~(結合)~「心理的結果」

 

先ほどの例で言うと、

 

「トイレでうんちをした」~(結合)~「すっきりして気持ちいい」

 

「SNSで『バカ』とコメントされた」~(結合)~「屈辱的で悲しい」

 

■「結合」には、「身体的結合」と「概念的結合」がある

 

「身体的結合」とは、身体のハード面に依拠した、強制力の強い結合です。

 

(例)「トイレでうんちをした」~(身体的結合)~「すっきりして気持ちいい」

 

「概念的結合」とは、主観の有意識や、無意識に依拠した、流動的なゆるい結合です。

 

(例)「SNSで『バカ』とコメントされた」~(概念的結合)~「屈辱的で悲しい」

 

※概念的結合の詳細説明

 

例えば、「バカ」と言われたとき、その「BAKA」の発音・表記が直接的に「屈辱的で悲しい」を引き起こしているとは言えません。

 

そのプロセスにおいては、

 

・「BAKA」の発音・表記が即ち「バカ」であるという意味理解をする

・「バカ」という意味から、相手と自分との関係性を概念想起する

・想起した概念と、過去の経験を突合して、合致する感情「屈辱的で悲しい」が生成される

 

という手順が存在していて、ここには必ずしも強制力があるわけではありません。

個人の主観・価値観の在りよう(様々な環境因子によって変動しうる)によって、処理が行われます。

 

そういった自由度のある結合を、「概念的結合」と言っています。

 

仮に、「『バカ』と言われた」の文脈が、「内輪でのじゃれ合い」である場合は、「概念的結合」によって、「楽しい」という心理的結果を生成することもあります。

 

■1次的には結合は存在しない

「身体的結合」と「概念的結合」があると言いましたが、1次的には、これらの結合は存在しません。

 

正確に言うと、これらは「2次的に結合している」です。

 

例で言うと、例えば、2つのレゴブロックがあるとして、これらは元々別々のものです。1次的には結合していない。

 

ただ、この2つのブロックを、決められたルールでくっつけたとしたら、「結合しているように見えます」。

 

「結合」とはこのような2次的なものだということです。

 

■欲望とは

欲望とは、「結合」を利用した、行動操作の情報受発信です。

 

(例)「トイレでうんちをした」~(身体的結合)~「すっきりして気持ちいい」

 

欲望は、「すっきりして気持ちいい」への誘導としての作用を持ちます。

 

なぜこの作用が必要かというと、「身体的結合」によって結びついている「能動的行動」・・・「トイレでうんちをする」の実行を促すためです。

 

内部で何らかの「結合」が形成されている人間に、特定の行動を取らせようとする場合に、「欲望」という情報受発信機構が用いられるケースがあります。

 

■トラウマ、絶望を回避する方法

 

(例)「SNSで『バカ』とコメントされた」~(概念的結合)~「屈辱的で悲しい」

 

○トラウマは、強力な「概念的結合」が、強制力を持っているケースです。

 

自分に「バカ」と言われているわけでもなく、ネットでその言葉を誰かが使っている場面を見ただけで、心理的結果「屈辱的で悲しい」が強く想起されたりします。

 

そういう場合は、「概念的結合を解除する」というアクションが有効です。

 

具体的にどのようにアクションするかというと、

 

「SNSで『バカ』とコメントされた」事実と、「屈辱的で悲しい」事実を、「別々の無関係のものとして解釈する」という概念操作です。

 

無関係とするだけなので、今、「屈辱的で悲しい」という事実は揺るがないのですが、

 

その悲しさと、「バカ」という言葉を投げかけられたことは、1次的には無関係です。

 

その解釈によって、「概念的結合」を解除する、ということです。

 

○絶望のメカニズムは以下です。

 

(例)「みんなで団結して何かを一緒にやる」~(概念的結合)~「楽しい」

 

このような結合がある人の場合、「この行動(団結して一緒にやる)は楽しいのだから、やるべきだ・やりたい」という価値観が生まれます。

 

その条件下で、心理的結果「楽しい」が何らかの理由で損なわれ「辛い」になった場合。

 

「みんなで団結して何かを一緒にやる」~(概念的結合)~「辛い」

 

となります。

 

この結合に、先ほどの価値観「この行動はやるべきだ・やりたい」の層を重ねると、

 

「辛いことをやるべきだ・やりたい」となり、積極的に苦しみに向かう構造にはまり込みます。

 

それによって、人は絶望に至ります。

 

ここでも、トラウマの時と同じように、「2次的な概念的結合」を、1次的に解釈することによって、結合を解除することが有効です。

 

「みんなで団結して何かを一緒にやる」~(概念的結合)~「辛い」

 

という結合が生まれても、「その行動と、心理的結果には関係がない」という解釈をすることによって、

 

「辛い」が、「何の脈絡もなく、ただ辛い気持ちになっているだけ」という、1次的なものになります。

 

これに成功すると、

 

「みんなで団結して何かを一緒にやる」行動は、やるべき・やりたい、を肯定しつつ、

 

「何の脈絡もなく、ただ辛い」

 

が両立します。

 

辛いことは辛いのですが、この1次的な解釈においては、絶望には至りません。

 

(まとめ)

めっちゃ長くなりました。

 

結合を解除するってことは、トラウマや絶望の回避に繋がりますが、

 

同時に「1次的には何の脈絡も因果関係もなく、苦しみはやってくるもんだよ」という、解釈が必要になり、これが少しハードル高いかもしれませんが、

 

その基礎の上に、「じゃあ2次的に、因果関係見いだして、改善して解決しよう」という行動も取れるので、

 

非常に安定したパフォーマンスができるんじゃないか、と思います。

 

読んで頂きありがとうございました。

 

おわり