例えばプーチンのように
「オレは周りを破壊するし、嫌がられるようなことを積極的にするよ」
「それによって、周りから不信と反撃を喰らうことになっても構わないよ」
「その志向を突き詰めたら、自分含めた全員がめっちゃ苦しむ環境を作り出すことも知っているよ」
「その前提に立った上で、逆に『自分は生き残りたいよ』『できれば幸せになりたいよ』」
というのが、いわゆる「悪」ですけど、
私はこういうはちゃめちゃな構造・・・
「抱いている欲望に対して能力が釣り合ってない、謎の高難易度ゲームに(よしゃあいいのに)挑んで」
「当然のごとく上手くできない、必然的に周りがケツ拭くはめになる」
のは、素直に「嫌だなぁ」と思うわけですが、
まぁ嫌でも、そういうのがけっこうメジャーに存在しているので、「やっかいな情報模型」だな、と受け入れるようにしています。
ここで、「悪」って嫌だな、「嫌なのが」=「悪」だなという固定観念があることに気づきます。
そもそも、「破壊されたら嫌だ」というのは、前提として、
「一生懸命、努力して生産的なことをしている」からなんですね。
例えば、
一生懸命、畑の土を作って、作物を育ててるのに、野生のイノシシの大群に全部食い荒らされたら、「嫌だなぁ」となります。
破壊のアプローチはイノシシだけではなく、
気候、洪水、病気、害虫、盗人、あらゆる方面から、破壊される可能性があります。
それを、がんばって、投資もして、身体も長時間動かして、一生懸命一年間働き続けて、やっとこさ、食っていける、そういう環境が地球上どこでもあるわけです。
そういう人がたくさん居る中で、破壊を積極的にやるプーチンは、「こいつなんなの」となるのは自然なことです。
しかし、逆に考えると、こういう「破壊有利&生産不利」の環境って、これもまた特殊な環境と言えるわけです。
例えば、「破壊も生産も、けっこう拮抗してる」ような環境も、可能性としてはあり得ます。
イノシシに、作物食い荒らされたら、まぁ嫌だけど
「残りの半年で、一年分の食料作れるから」
「まぁ、しょうがないなぁもう~~!」と思いながら、
「イノシシのやつらめ~まったく!」とかプンプンしながら、
普通に生活できる、みたいな環境もあり得ます。
そして、地球とは真逆、つまり「生産有利&破壊不利」という環境もありえます。
例えば、生物が、細胞分裂ばっかりして、どんどんどんどん増えまくる環境とか。
もうコピーが増えまくって、逆に、「ちょっと勢い抑えてくれ」と思うくらいの、過剰生産が当たり前の環境というのも、又あり得ます。
そういう環境では、地球の「悪」が、逆に「天のお恵み」だったりします。
「ミトコンドリア先輩、ありがとうございます!」の祭りとか開かれるかもしれません。
生産をちょうど良く抑え込んで(破壊して)、秩序を守ってくれてありがとう、の気持ちです。
だから、地球上の環境では「プーチンは悪人だ」はほぼ正確なんですけど、
その外の世界では、価値観の逆転が起こりうるし、実際に逆転している環境も、どこかに存在しているのでしょう。
「そういう環境は、地球の箱の外側に隔離されている」、あるいは、「地球の箱が外側から隔離されている」
というような「棲み分け」みたいなものは、どうやら、無くって、
「シームレス」、あるいは、「(見えないだけで)常に重なっている」というのがより精度の高い認識のようであるなぁ~と私は空想しています。
だから、そもそも、「プーチンと私は、同じ、人類だ」という世界観自体が、ちょっと無理があるんですよね。
その世界観を保つには、(世界観の)ハード面をめっちゃ固める必要があるのですが、
そこまでその信仰を強化するだけの能力と動機が、人間には持ちにくいですから、
その世界観、無理あるね。となるのです。
「プーチンと私は違う生き物だけど」「彼と私は、常に繋がっている」「めんどくせぇな」
というのが、まぁ、普通の解釈かなと思います。
なので、自分の中の「善悪」の価値観も、
結局、ユニークな環境下でしか存在しえない価値観であると考えることもできるので、
その価値観にしがみつくのも、ほどほどにしといた方が健康的ですね、という話でした。
私は、「めっちゃ生産有利・破壊不利」の環境は、ちょっとやだな、と感想を持ちました。
ちょっとパニックになりそう。