資本力の大事さ

私は日記でも、けっこうテクニカルな要素しか書いていないし、

 

日本の大学教育でも「頭の使い方の基本」を教えていると思います。

 

それはそれで、大事な要素なんですけど、

 

私は麻雀を練習してて、気づいたことがあります。

 

もちろん技術的なことも足りてないんですけど、それ以前に、見落としがちな要素として、「意欲」ですね。

 

私の麻雀に対する意欲の程度は、今まで、

 

「まぁまぁ上手くなれたらいいな」

 

「楽しくプレイして、できたら勝てたらいいな」

 

くらいのものでした。

 

この意欲を裏返すと、

 

「こっちが良い手なら、ナイスプレイをできたなら、放銃してもいいや」

 

「自分で上手くやれてると思って、楽しかったら、負けてもいいや」

 

となるのです。これでも本人が良ければそれでいいのですけど、

 

実際として、「麻雀に勝てません」。

 

じゃあ勝つ人ってどんなマインドセットかというと、

 

「何が何でも自分の捨て牌でプレッシャーをかけて、相手が平常心なら簡単に和了れるはずだったであろう手を、和了れないようにしてやる!」

 

「勝つために、絶対に失点を最小に抑える、そしてこちらの得点については最大速度・最大得点で勝ち取ってやる!」

 

「相手がどんな強者であろうと、プロであろうと、たまたまツイてる素人だろうと、絶対に私は負けない、押さえ込んでやる!」

 

その燃えるような執念があるのです。

 

そういう人は、そのエンジンで、どんどん進みます。

 

そういう体勢が整って初めて、次段階として、「技術の習得」がキーになってきます。

 

で、この執念って、意識を変えれば、比較的できるんですよ。たぶん、その意識の切り替えは、誰でもできると思います。

 

重要なのは、その執念の源泉である、「心のパワー」つまり、経済で言うところの「資本力」です。

 

そもそもパワー総量がある程度なければ、執念を持つことはできません。

 

逆に言うと、パワー総量がある程度あるならば、「最高パフォーマンスを目指してみる、それに執念を燃やす」ということは可能になります。

 

だから、「どうせ自分なんか・・・」と思っている人は、マインドセットに課題があるというよりも、むしろ「パワー総量が少ない」というケースがほとんどなんじゃないかと思います。

 

じゃあパワー総量増やすにはどうすればいいんでしょう?

 

それって、ちょっと難しい問題です。

 

もしも、私がアフリカのある集落の住民で、日常的に飢餓状態で、フラフラだったら、

 

「ありのままを受け入れる」か、「現実離れした夢を見る」になると思います。

 

つまり、簡単に言うと、「観念します」。

 

私の知識では、基本的に、打つ手は思い浮かべることができません。

 

できることとしては、例えば国連WFPに可能な金額を寄付して、学校給食を子供に提供してもらって、「食」と「教育」を底上げする、というのがあると思います。

 

そうすれば、少しでも、パワーの足りない人たちに、力を与えることができるかもしれません。

 

パワーのある人として例を言うと、

 

ソフトバンク孫正義さんは、若い頃、本当にめちゃくちゃ勉強を努力したそうです。

 

「世界で一番勉強した」という自負があるほどのようです。

 

それだけの執念を燃やすことができるだけの、パワー総量があったということですね。

 

それは経済的に恵まれていたというよりも、心から湧き上がってくる力が大きいという意味でのパワーがあったということです。

 

飢餓に苦しむ人、それでしょうがないと諦めるのが正着である人は、孫正義さんにはなれないわけです。

 

おそらく、スティーブ・ジョブズにもなれないでしょう。パワーがなければ。

 

ただ、そうやって経済的に成功して、力を得た人に対して、

 

「私の窮状を救ってください」ではなく、

 

「私に投資してください」「できるかどうかわからないけど、諦めたくないんです」

 

「本当に諦めるしかないのかどうか、確認するまで死にたくないので」

 

「私が運用できるパワーをお恵みください」

 

と、私だったらお願いしますね。

 

もし諦めがつくのであれば、それはそれで、納得ずくで、細く長く、できるだけ楽しく生きます。

 

パワーを分けてあげることが可能な状態の人は、

 

その声に、できるだけ真摯に向き合って欲しいな、と思います。

 

実際に、「リターンが期待できるかどうかわからない相手に投資するかどうか?については」

 

とくにお願いはしません、ご自由で良いと思います。

 

ただ、相手が同じ人間で、その相手が真正面から、お願いをするのであれば、

 

それにきちんと向き合ってもらった方が、私個人にとっては都合がいいです。

 

という一意見でした。