国連の世界食料計画(WFP)という組織に、10万円寄付をしました。
ガザでは、人道支援のルート構築もままならず、軍事行動により人が死んだり負傷しまくってるようです。
支援も焼け石に水状態ですが、だからといって支援することが無駄かというと、そういうことは全然ないです。
国連があきらめずに人を救いたいという信念をできるだけ現実世界に通そうとすることは「支援する側・支援される側」両者にとって重要な意味があります。
ただ、「破壊」は比較的簡単なので、生を守り育むという生産的な営みは、基本的に劣勢に立たされます。
劣勢な状況であるならばなおさら、矜持を持ってカウンターを入れる気持ちで支援をして頂きたい思いを持っています。
国連という機関は、第二次世界大戦での戦勝国が常任理事国になっていると思います。ロシアも入っている。
国連の制止や批判もおかまいなしに、戦争やりたい奴はやり放題のため、しばしばネットで「国連は機能していない、形骸化している」という趣旨の文言を見かけます。
「第二次世界大戦の勝者が世界秩序のルールを都合の良いように支配する」という側面はともかくとして、国連設立の初心・最初の一歩としては「二度とWW2のような被害甚大な戦争を起こさない、起こさせない」というものだと思います。
その理念は、ウクライナ戦争、イスラエル・パレスチナ戦争を経てもなお、全く揺るがないし、ブレてはいないのではないでしょうか。
「イスラエルが聞き耳持たないから、じゃあもうあきらめよう」ではなく、継続的に、対話の機会を設けて、粘り強くメッセージを伝え続けることは、無意味ではないと思います。
イスラエルも、ずっと固定ではなく、時間経過で少しずつでも変化していきます。
すぐに動かせない重い岩でも、長期的なスパンで働きかければ、1mm動く可能性は高いです。
もし1mm動いたのなら、もう1mm動かすことも可能になる見通しが立ちます。
そうやって、継続すれば、「振り返ってみたら、なぁんだ結局10m動いてたじゃないか」という結果が後から付いてきます。
「国連にもう期待しない」「それぞれの国や組織が勝手に動いて、一部の過激な者によって世界が混沌とするだけだ」という認識を持つことは、国連が掲げる理念「戦争を起こさない・起こさせない(秩序を守る)」の放棄と等しくなります。
一般的にどんなに困難で、無力感に打ちひしがれる状況であっても、「絶対に退いてはいけない」というシチュエーションはありうるもので、国連や世界中の人々は今、その状況下にあります。
今の国連の在りようがベストかというと、「実効性のあるメソッドを持っていない」という点で、課題はあります。
しかし、国連もずっと同じではないので、ひとつひとつの紛争地域などの問題と対峙して、経験を積み知恵をつけていく過渡期の段階であるという認識が良いと思います。
私はWW2後に芽生えた「平和理念」という芽を、育てていく過程のまっただ中にいると思っています。
技術がない、実行力がないとダメなのか?いや、力なんて時間を味方にすれば必ず付きます。
一番大事なのは、最初の一歩に全身全霊を込め、初心を忘れないことです。
あなたの初心はどのようなものでしょうか。私は「戦争をしない」という決断は、素敵だなぁと思います。