例えばある農村があるとして。
最初はみんなで労働量をできるだけ等分して、収穫した農作物を等分していたとする。
そんなに豊作でもなく、なんとか全員空腹に耐えつつ生きていける水準です。
ここで、誰かが鉄のクワをどこかから拾ってきました。
村のリーダーは言いました。「鉄のクワを量産して使おう」。
しかし、村の労働力はカツカツで、新しい分野へのリソースが足りません。
じゃあこうしよう「一部の村人の食い扶持を減らして、その剰余分の資本を鉄クワ生産に注入しよう」
一部の村人の報酬を農産物100から50に減らしました。
貧しくなった村人は飢餓状態で、一人前の労働を強いられ、力尽きる者もいました。
「また一人倒れました。これで大丈夫なんでしょうか?」
リーダーは言いました。「鉄製の農具が作れるようになれば、村の生産性が上がり、農具自体を売ることもできるので、村の収益は確実に上がる。それまで何人か失ってもしかたの無いことだ。この技術は村にとって数人の命の損害を差し引いてもリターンがあるからな」
計画を続行した村では、報酬を減らされる人が常に一定数選ばれていました。
犠牲者として選ばれた者達は、こう思っていました。「今は辛いけど、リーダーの言うとおり鉄クワが作れれば状況はよくなるはずだ。村全体のために、がんばって耐えよう」
犠牲者たちはがんばりましたが、この後もバタバタと倒れていきました。
リーダー「まずいな、これでは資本の循環がもたない・・・もっと犠牲者を増やさなければいけないな」
リーダーは考えました。そうだ、隣の村の連中を犠牲者にしよう。そうすれば我々は無傷で住む。
外交のため、隣の村に現れたリーダー一行は、ある衣装を身につけていました。
その衣装とは、隣村の独自のユニークな民族衣装でした。
リーダー「隣村のみなさんこんにちは。我々は仲間ですよ、会えてうれしいです」
隣村の人間は思いました。「おぉ、この衣装は我々と同じだ。近くに仲間がいるとは知らなかった」
2つの村は良好な関係を結び、農作業で連携することを約束しました。
リーダー「よし、これでいい。ただし、鉄製の農具のことは、彼らには言うなよ」
部下「なぜですか?」
リーダー「アイディアを渡して、我々が不利な競争に巻き込まれたら困るだろう。彼らには常に我々よりも技術的に劣っていてもらおう」
部下「なるほど」
リーダーは「人手が足りないので、助けて欲しい」と隣村にお願いして、何人かの労働力を派遣してもらいました。
リーダー「助力に感謝します。ところで、この村ではこのような報酬になっています」
隣村人「これはかなり少ないね、この村ではみんなこれくらいで生活しているのかい?」
リーダー「そうなんです、私たちはギリギリの生活をしていたもので、いや、助かります」
リーダーの狙い通り、隣町の労働者を犠牲にして、鉄クワ生産の資金を集めることができました。
部下「これで問題が解決ですね。隣町の人には悪いことをしましたが」
リーダー「攻め入って、力でねじ伏せて、奴隷にしてもよかったのだが、それよりも私のやり方の方が旨かっただろう」
部下「そうですね、争いは起こっていないし」
リーダー「内部の人間でも、外部の人間でも、鉄クワを作るためには犠牲者を出すことは確定しているんだ。であるならば『外部との戦争』で労働力を損耗させるより、いったん内部に引き入れてからの『善意の献身』を作り出した方が効率がいいだろう」
部下「なるほど。無理を通すにしても、やり方を工夫した方が良いってことですね」
リーダー「隣村の連中は、我々のことを仲間だと思っているだろう。実際は、私は、彼らのことはどうでもよくて、鉄クワが作れれば何でも良いんだけどな」
部下「リーダーは非情ですけど、合理的ですね」
リーダー「合理的であることが強いということだからな」
村はその後も、新しいテクノロジーを開発しては、富を獲得していきました
おわり
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ここまで書いて、私はこう思いました。
そもそも鉄クワなんてなくても、幸せに生活することは可能だったんじゃないでしょうか。
あるいは、隣村と等身大の友人になることも可能だったのでは?
何かを恐れ、何かを求めたら、私も合理性を突き詰め、あらゆる犠牲を払うかも知れませんが、私は「何か」を未だ知りません。
相手の立場を想像はできますが、結局、「なるようにしかならない」という面はあるのだろうと思います。