A diary 8/19

WSJの記事を読んでみました。

 

内容は、

・最近、アメリカではリモートワークを好む従業員の割合が大きい

ワークライフバランスのうち、ライフを重視する傾向が見られる

・金銭報酬をある程度犠牲にしてでも、働きやすさを選ぶ人がいる

・経営側は従業員にたくさん働いて欲しいので、労使間の利害衝突が起こる可能性がある

 

こんな感じでした。

 

日本でも、若い世代の人は、出世よりも普段の生活を充実させることを重視する人が多いと聞きました。

 

私の印象では、アメリカ人のビジネスマンはハードワークを厭わない人が多いと思っていたのですが、コロナ渦でのリモートワーク導入を機に、「在宅に味を占めた」人が多いんだなぁと意外に思いました。

 

記事には、「アメリカの雇用主は、生産性の向上を期待できないリモートワークを、できれば止めて欲しいと思っているが、優秀な人材を自社に引き留めておくために、彼ら従業員を幸せな状態にしておく必要を感じている」趣旨のことが書いてありました。

 

こういうのを見ると、やっぱり人には「余裕」って必要だなぁと思いました。

 

余裕があるとラクで幸せだから、という理由ももちろんあります。

 

他方、私が重視している他の側面では、余裕とは、「切り札を切らないで取っておく」ことができる点が強いです。

 

「余裕」の切り札としての意味とは、「普段から余裕のあるワークライフバランスを取っていれば、もしも、課題が発生した場合は、その余裕のリソースを課題解決に注入することができる」という点にあります。

 

平時から、会社が優秀な人を雇い、その人的資産をハードワークフル回転させて、高い経営スコアを叩き出すことを目指す、というのは一見合理的に見えます。

 

せっかく高い給料を払って雇っている従業員に、ひまを与えていたら、機会損失である、仕事量を最大化せよ、というのは正しい一面があるからです。

 

ただ、そのフル稼働状態を「平時」にやってしまうと、何らかの外的要因(例えばコロナ渦のような)で、経営に課題が生まれてしまったときに、従業員はヘトヘトで、もう切れるカードが無い、という状況になります。

 

だから、平時においての正着は、「余裕」を義務的に制度的にでも作り出して、「切り札」として取っておいて、いざやばいとなったときはそのカードを切り、「みんなでハードワークして乗り切ろう」という戦術を取ることです。

 

ただ、世の中の仕組み的に、私のような余裕の扱いはローカルルールで、メジャーな考えでは、ハードワークでヘトヘトが常(楽はさせねぇぞルール)のようなので、結局、少なくとも最近以前の過去においては、余裕を持つことは悪だったのでしょう。

 

ただ、高いやりがいを持ってがんばるアメリカ人の性質が、楽方向に流れている傾向があるようなので、「今」は余裕の価値がどうなのか、は変わってきているかもしれませんね。

 

個人的に理想的だと思うのが、「余裕を持って、高いパフォーマンスが出せるように努力する」だと思います。

 

これは、生産性の向上とマッチしているので、正道でしょう。