宗教の人心操縦術

統一教会が、安倍さん殺しの犯人の母親からお布施を取りまくっていた件について。

 

家庭を重視する宗教に、多額のお布施を払って、破産するというのは、客観的に見るとかなり本末転倒に見えますが、

 

信じ込んでしまっている本人は、お布施を払うたびに、「払ってよかった」と思っていたのでしょう。

 

普通の人は、お金は自分のために使いたい、と思いますが、お布施を払って喜ぶ人とは、そこに傷を負っているのではないでしょうか。

 

つまり、自分のために動いたら、ひどい目にあった、という経験があって「自分は悪いんだ、自分よりもっと優れた存在に、許しを乞う必要がある」という認識。

 

そういう自己否定をするような人をお客さんとするのが宗教です。

 

前にも書きましたが、お客のことを配慮しないのであれば、商売なんてやめたほうがいいですね。

 

統一教会は、宗教の名を騙った悪徳商売人という認識を持ちました。

 

自己否定するような人は、生物として弱いので、弱肉強食の自然界(人間界含む)では、強い者(悪徳商売人)が弱い者(信者)を捕食するのは当たり前の事、と思っていたのでしょう。

 

捕食するのはいいですけど、旧統一教会は、そこまで肥らせる必要のある存在なの?という疑問を持ちます。

 

生産的なことができないただの大喰らい、なら、潰した方がいいと思います。

 

自分の身の丈を知って、「ほどほどに食べたい」くらいの遠慮さが欲しいところですね。

 

統一教会が今何やってるのか全然知りませんが、信者を喰い散らかすだけの「反社会的装置」でないことを祈ります。

 

ナムナム。