葉隠

「武士道と云うは死ぬ事と見付けたり」で有名な「葉隠」。

 

これは、江戸幕府が開かれて50年以上経った後に生まれた、佐賀藩士の山本常朝さんの口述を記録したものだそうです。

 

山本さんは戦争を知らずにぼくらは生まれた~♪の世代だったんですね。

 

調べてみると、「常住死身」という言葉があって、これの意味は「武士として自由に生きたかったら常に死んだ身になれ」ということだそうです。

 

これは、私はシンパシーを感じました。わかるわかる!

 

死んだ身になるのが良い、というよりも、「死にたくない」気持ちが圧倒的な不自由さを生むんですよね。

 

私も積極的に死のうとは思ってないですが、意思決定に最大限「幅」をもたせるために、常に死を受け入れて生きています。

 

結果として、それがよく生きることにつながるので、一種のトラップみたいなものですね。

 

私のように意思決定のバリエーションとスピードで現実を凌ごうという「気体人間」はそれでいいかもしれませんが、

 

地球の大地に根を下ろして、ひとつの道を固持するスタイルの人は、「死身」になっても「暗いやつだなぁ~」と周りの人に思われてマイナスかもしれませんね。

 

でも実際、ひとつの道に自分の運命を委ねるというのも相当なハイリスク行動(私だったら臆するようなハイリスク)なので、自分がやっていることは命がけであることをよく理解することはそれほど損なことじゃないと思います。

 

ただ、ハイリスクだろうがローリスクだろうが、大きな流れに身を任せるというひとつの選択しか眼中にないのであれば、明るく楽しくいこうよ~どうにかなるさレットイットビーという明るい感じの方が、生きている間は幸せなのかもしれませんね。

 

ということで、葉隠にあるように、死身になった方がいいという結論ではなく、ひとそれぞれやりたいようにやるもんだよな、と再確認した次第です。

 

死身になるのも、ひとつのテクニック、「死ぬことと見付けたり?わけわかんない」というものから「ある必要性を背景とした技術なのね」と理解して頂けたら幸いです。