思想はおなら

人の考え、思想とは?例えば私だったら、超監視社会を待望しているし、国境を溶かすチャレンジにも価値があると思っている。

 

これらは、使い方によっては良いアイディアにも、どうでもいいアイディアにもなりえるんですが、

 

あくまで、「今」の私が頭の中で計算して、「これだ!」と思うものを垂れ流してるものであるというのは事実です。

 

私は厳密に言えば「今」のまま変わらないことはありえないし、私がインプットにしてる情報(アイディアの材料)も将来「今」より増えるかもしれません。

 

なので、思想というのは常に刹那的な「おなら」みたいなもんなんですよね。

 

この状況化での対応としてありえるのは

 

・究極のおならを目指そう

・場面によって都度違うおならをしていこう

・おならは臭いのでどうでもいい

 

というものです。私は「場面によって都度違うおならをしていこう」の方向を選択していて、何か考えを言う前に、「今からするおならは今しか通用しないから、状況変わったらいつでもおならを差し替えるつもりでいるぞ!」という意気込みで話しています。

 

なので、おなら自体は、崇め奉るような対象ではありません。思想を表現することは「太陽がまぶしいからサンバイザーを被る」程度のアクションにしか思っていません。

 

これは「究極のおなら」を追求している人とは立場が異なってきます。

 

「究極のおなら」界においては、「どんなろくでもない人間であっても究極のおならを出せるようになったら救われる」というイージー設定になっています。

 

もしそういうイージー設定が現実に通用すれば、私も「究極」を目指すのですが、実際は無理なものがあると思います。ただ、そこに活路を見出す!それがやりたいんだ!と本気で思ってるなら「じゃあやってみたら」と応援はします。

 

「おなら」は「人間」とセットであり、「どういう人間がどういうおならを出したか」その現象を俯瞰から観察するべきだと思います。

 

「美少女アイドルがみんな愛してる!と言う事」と、「ロックミュージシャンがラブ&ピース!と言うこと」は若干違いますよね。この微妙な違いに気づけたら、あなたも立派なミクロ世界のプレイヤーです。

 

こういうもの言いをするのも、わたしのおならの業です。注意しましょう。

 

「こいつの言ってことは何なんだ?」ではなく「(全体を俯瞰して)こいつは何をやってるんだ?」というものの見方をすると、良い事があると思います。