以前、地球システムの在り方について日記で書きましたが、「人」を主体とした場合に、大体2つの方向性が見出せると思います。
①どのような偏りのある性質の人が何人いても、エラーを吐かずに稼働できるシステムの在り方
②人にある程度の能力があることを条件とし、それと両輪を成すシステムの在り方
①は、人の内面が荒廃しても大丈夫だし、②は人の内面を育むシステムです。
現状、ロシアとかでいうと、行動から評価すれば、ロシアの意思決定権を持っているプーチンさんや、周囲の賛同者は、内面が荒廃しているでしょう。
心が荒廃していている人が大国のパワーを動かすことができる状態でも、大丈夫なシステムを、国際社会全体で作り上げていく、というのは急務のような気がします。
ただ、①の場合、簡単に言うと、人が感じる住み心地は、悪いです。内面が荒廃している人が存在することを、最初から想定する、ということなので、人単位の犯罪や、国単位の侵略戦争などの発生を防ぐことはあきらめるしかないでしょう。
奪い、奪われ、殺し、殺されの現象が起こっても、システムが帳尻を合わせて、トータルとしてはプラスマイナスゼロにするよ、それで無問題ですね、というのが①です。
それって、私は嫌だなぁと思います。理由はシンプルで、奪い、奪われ、殺し、殺されの関係の中にいたくないからです。これは、幼少期からの環境によって身に付けた価値観なので、この価値観が正しいという根拠はありません。
ただ、例えば、自分のすぐ横で殺人が起こってるのに、自分が幸せになってるというのは、直感的に「違う」と思うんですよね。間違いであってほしい、という願望を持っているだけ、とも言えます。
そこで考えたのが②の、人の能力に依存するタイプのシステムの在り方です。これは、人次第で、発展することもあるし、壊滅することもある、常に綱渡りをするような、リスクのある形です。
人が能力をつければつけるほど(自分の能力と、他者の能力がアップするほど)、社会が発達していきます。発達とは、経済発達とイコールじゃないかもしれませんが、少なくとも(あらゆる面での)技術は発達します。
努力すればするほど、それによる恩恵が受けられる。これはやる気がでますね。神様視点でいうと①の方が良いんですけど、人間視点でいうと②の方が都合がいいです。
ということで、①と②を並行して研ぎ澄ませていく、というのが良いんじゃないかなと思います。
今、ロシアの侵攻で、①のシステムの性能限界が現れているように見えるので、それなら②に荷重をかけて、「教育」に力を入れる、といったアクションが取れたらいいですね。
①と②を、いったりきたりして、①②をそれぞれ発達させていく志向。これが人間のメインストリートだと思います。
荒廃した心を、自分の力で、あるいは他者の力を借りて回復していく。それが私が見ている希望です。