ツイッターの使いやすさ

ツイッターを見ていると、私の端末に見えるツイートは大体こんな感じです。

 

・ITエンジニアや新興企業の社長によるカタカナ用語だらけの業界状況分析

・人生につまずいてる人の心情を応援したり支援したりする心に染みる言葉

・読むとクスっとなるような日常にある面白いネタの共有

 

こんな類のツイートがほとんどシェアを占めており、まぁ別に読む分にはいいんですけど、もっと私が興味あるツイート(哲学とか政治とか)がたくさん表示されて欲しいなぁと思います。

 

IT関係の用語とか、本当に意味わからなくて、調べればいいんですけど、業界人だけの内輪的なオーラをびんびんに感じて、うわぁ・・・とあんまり意味わかっても、大したこと言ってないんだろうな、という偏見があります。違ったらごめんなさい。

 

で、心に染みる言葉は、これもあぁ、困ってる人や苦しんでる人を助けたいんだなぁ、とわかって、善行だな、と思うんですが、それって当事者のリアルの周りの人がやる事であって、赤の他人に頼る人っているのかなぁと疑問を感じます。しかし、悪意をまき散らすよりかは励ましの方が大分マシなので、文句は無いです。

 

読むとクスっとなるネタは、スナック菓子のようで、面白いこと発見したり表現する人がいるんだなぁと感心しますが、これに浸っていると、元々自堕落な私がさらに自堕落になりそうで危機感を感じます。Youtubeのショート動画も似てるんですが、ずっと見ていると、自分が精神安定剤を点滴されている入院患者のように感じられて、まぁまぁ不健康な状態だな、と感じます。

 

私が欲しいのはやっぱり哲学とか、国内政治とか、国際政治とか、自分の持ってる情報をグレードアップしてくれるようなツイートですね。だから「この人普通じゃないこと言ってるけど一理あるな」という発見は貴重です。たまに、「普通じゃなくて合理的でもないこと」を言ってる人がいるので、トラップを見つけたような気持になります。

 

表示されるツイートを選ぶアルゴリズムは一体どうなってるんだろう?サービス的に不満があるので、まだまだ未熟なアルゴリズムを使用してるんだなと想像します。これからどのように改良していくのか見ていきましょう。

 

そういえばイーロン・マスクさんがツイッター買収を止めたみたいですが、理由は、「スパムアカウントが全体の5%以下である証拠」の提供が未達だったから・・・とかなんとか。なんなら買収してから5%以下に改善すればいいし、不満なら価格下げる交渉すればいいだけだし、ちょっと挙動不審ですね。「スペースXとかテスラの収益性に不安定さが見えたから、やっぱり大金使うのやめた!」って感じなんじゃないかと推測します。推測なので違うかもしれません。

 

ツイッターのサービスが十分にならないのも、「消費者を情報弱者のままにしておきたい」からかもしれませんね。定石で言うと客のニーズに沿わない企業は大体没落するので、ツイッター社がどうなるか観察してみましょう。

成田悠輔さんの「22世紀の民主主義」感想文

成田さんの「22世紀の民主主義」を読み終えたので感想を書きます。本1冊をちゃんと読み終えたのは久しぶりなので、達成感がありました、うれしいです。

(要約)

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ここ20年間で、民主主義の機能不全が見られるため、既存制度の枠内で努力するより、ルール自体を変えることが大事だ。そのための手段は以下の3方向が考えられる。

①民主主義との闘争

(1)ガバメントガバナンス(インセンティブ制による政府統治)

(2)SNS等のWebコミュニケーションの規制

(3)選挙制度の改善(年齢制限、投票者区別、政策論点別投票、新投票UI/UX)

②民主主義からの逃走

政治的デモクラシー・ヘイブン(私立国家群の誕生により多元性と競争性がもたらされ、政治制度が商品化される)

③まだ見ぬ民主主義の構想

【無意識データ民主主義とは】

(1)主に半意識・無意識からの多角的・高解像度の民意データを基に、アルゴリズムを用いて目的発見・価値判断を行う(データの平均化・アンサンブル化により精度を上げる)

(2)エビデンスに基づく政策立案を行う

【無意識データ民主主義の機能性】

●平均化・アンサンブル化されるアルゴリズム群により、多元性と競争性が備わる

●「エビデンスに基づく政策立案」に長期の成果指標を組み込むことにより、未来・外部・他者に向かった政策立案が可能

●多角的な民意データ抽出により、SNS等で汚染された有権者意識による影響を、半分除去可能

【無意識データ民主主義の運用ポイント】

●各政策論点に対して全有権者が同じ影響力を持つ必要はないが、1人当たり総影響力は平等としなければならない

●無謬主義により閉塞した社会状況を、(ランダム選択を含む)アルゴリズムは実験・学習により進化し乗り越えることができる

●政党や政治家が密室で行っている政策パッケージ作成作業を省き、無数の争点と直接的に対峙できる

●ウェブ直接民主主義と比較して、多数の政策論点の同時並行処理が可能で、有意識的な投票・選挙が作り出す同調やハック・分断も緩和できる

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(感想)

①民主主義との闘争

外国では、色々試しているようなので、日本もできそうなものを適当にやってみるのもいいと思います。やってるうちに、政治への監視が強まればそれはそれで良いプレッシャーになるかもしれません。

②民主主義からの逃走

Web3とか、この私立国家の基盤を支える役割を果たしそうで、かなり現実味がある話だな、と思います。既存のクラシック国家と、新興国家が綱引きして、世界が混乱する未来が見えます。私はクラシック派なので、その時は「しょうもないからさっさと混乱を収めよう」とか言うと思います。

③まだ見ぬ民主主義の構想

これは、私が推してる超監視社会と通じるものがありますね。やっぱり未来を歩くなら、必ず通るような道だよなぁと再確認しました。このパートが一番情報が詰まってて、成田さんもこれが一番書きたかったのかなぁと思います。この民主主義の形に関しては、国が社会主義的になっていくのではないかと思います。私個人はそれでもいいんですが、資本主義ガチ勢は納得するだろうか?無意識データ民主主義との対決姿勢を鮮明にして、歯車がガッチリ噛んで動かなくなる、とかそういうシナリオを懸念しました。しかし、そういう問題も、時間をかけて調整していけばクリア可能かな、と思います。どういうタイムラインで社会に実装していくか、という点は、たくさんの頭の良い人が考えて綿密に計画する必要があると思いました。

 

総じて、アイディアとして面白いし、詳しくて読んでためになったなぁと思います。個人的には、人力でやるのも好きなので、人+アルゴリズムの二人三脚が楽しいなぁと希望してます。未来はどうなることやら。

対中国の考え方

中国は頭が色々考えてるし、チャレンジもしているので、ある程度素行が悪くても、育てた方がいいなぁと思っています。

 

ペロシさんが訪台したら、軍事訓練で弾道ミサイルを海に撃ったりしているわけですが、ポイントは、中国は不自由だということです。

 

普通の人間関係では、相手と友好的な関係を築きたいと思ったら、礼を尽くして、思いやりを持ち、お互いに利益になるようなことをするのが普通です。

 

で、それと反対のことをするというのは、敵対したいという意思表示のように見えます。

 

なので、外から見ると中国も「お前らと敵対したいぜ!」と言っているように見えるんですが、この解釈をすると戦争に向かってしまうので、軌道修正を「外が」する必要があります。

 

こっちが自らを修正をしても、中国が敵対する気マンマンなら意味ないじゃん、と思うのはもっともな意見ですが、自分の都合を通そうとするなら、適切なリスクとコストを払って、利を得るしかないのです。これは私の経験則です。

 

もしも十分な環境を提供したのにもかかわらず、中国が好戦的な態度を貫いた(武力を行使する手段への執着を見せた)なら、その時初めて、「じゃあ戦争しましょう」と開戦に向かえばいい話であって、戦争なんてやろうと思えばいつでもGOサインは出せますから、そういう安直なカードは切らずに持っておいて、それとは違う、難しいけど価値のあるトライに各国が取り組んだ方が良いと思います。

 

で、中国共産党は、どんな状態かというと、湧き出る噴水の上に蓋を乗せてその上でバランスを取りながら中華料理を作っている人みたいな感じだと思います。これは想像ですが、要点は、「危ないポジションにいるから作業(料理)に100%集中するのが無理」な状態だということです。

 

外交も、国家戦略も、理性的な行動はすべて「片手間」でやってるんですね。他の国も大体そうだと思いますが、この「片手間率」が中国は比較的高いと思います。「国民が直情型」かつ「多民族国家」だからです。

 

そういう状態ですので基本的には「イライラさせないように、あんまり邪魔しない方がいい」というのが周りの国の好ましいスタンスだと思います。よって、ペロシさんの訪台は、(みんな繁栄を是とするならば)悪手です。

 

で、我々が注力するべきことは「中国の邪魔をせずに」プラス「中国の勢いを活用して利を得る」ということです。

 

中国はアシストして育てれば、大きな勢い(需要増と生産能力増)を実現しますから、それを取りこぼしなく、各国が利益に繋げるような仕組みを構築する、というベクトルに進むのが良いルートですね。

 

クリアすべき問題点は、ゼロサムゲーム好きな人と、武力行使の手段に執着している人に、組織の意思決定権を与えない、ということです。

 

めんどくさいけど、色んな人がいますから、時流に合わせて人材を適切に配置して、地球全体でハーモニーを奏でることに集中すると良いと思います。

 

あと色んな層(レイヤー)がありますから、バッティングが生まれて逆風は吹くんですけど、「俺の層はこうするんだ」と、意志を貫く姿勢が大事になってきます。

ペロシさんという人

中国を罠に嵌めるために、なんらかの勢力が、ペロシさんをしそう(使嗾)している可能性は高いが、この人本人が何を考えてるかよくわからないです。

 

ググってみると、かなりの「強硬派」らしく、中国天安門事件(1989)での民主化運動を支持した・・・みたいな情報が出てきました。

 

現在82歳、ということは、第二次世界大戦(1939~1945)開始の翌年に産まれ、5歳のときに終戦を迎えた、と。

 

ナチスのような強権的な独裁政治を、アメリカ等連合国の軍事力で叩きのめし、民主主義の理念を具現化することが可能になった年代、なのかな。

 

つまり、「独裁国家は敵であり」「それは力で叩き潰すもの」という固定観念がある可能性がありますね。なるほど、今回の台湾訪問の行動がしっくりきますね。

 

中国とアメリカが戦争すると、規模的に、世界全体にダメージが半端ないので、普通に考えると戦争は回避する方向に舵を取るのが「まとも」な判断ですが、上記のような固定観念に縛られている場合は、一見謎の判断をしても仕方ないのかもしれません。

 

彼女の考えの誤りは、「独裁国家は敵である」の点で、正確に言うと「敵が独裁国家だった」というのが事実でしょう。第二次世界大戦のときのナチス政権ですね。

 

中国が一党独裁国家だとしても、イコール敵、にはならないはずなんですけど、

 

おそらくですが、ペロシさんは、民主主義の正当性というものに対して、信じきれない部分があって、同時にそれを忌避したいために

 

ちょうど良い的(中国)を力で叩き潰して、民主主義の正義っぷりを実感したい、という心理なのではないかと想像します。

 

こういう個人の中のフラストレーション処理のために、2つの大国が戦争するリスクが高まっているのを見ると、これは制御しなきゃ嘘だよなぁという気持ちになります。

 

やっかいな人が政治的権力を持つ前提で、どのようにそれを制御するかというと、すべての国民の能力のベースアップかな、と思います。

 

国の骨格が変わらなくても、血肉が変われば別人です。その方向性が一番無難でしょうね。

もし情報マニアを育てるとしたら

私のように、純粋に、情報を得て(ある情報を脳みそにぶちこんで)、幸福感を得るタイプの人間は少数派のようです。

 

大体の人にとっては、情報は他の欲を満たすための道具でしょう。それはそれでもいいんですが、間接的に利用できる情報は、それ自体あんまり興味ないでしょう。それに向かう情熱とか、根性とかは、情報自体に価値を求めた方が有利かもしれません。

 

ということで、もしも自分に子供(AI子供でもいいですが)がいたと仮定して、その子にどういう教育を施すか考えてみました。

 

①フィールドをめっちゃ広くしよう

前にも言った通り、人間が認識する「理」には適用可能範囲があります。世界丸ごとをぶった切れる剣はなかなかないです。よって、「理」は(情報マニアにとっては強力な矛ですが)、万能ではない玩具のような存在だという認識が正しいです。しかしながら、「理」が読めないとすぐ死ぬ(無駄な失敗をする)ので、この「理」をできるだけ厳選して、より「広い」世界をぶったぎれるものを掴む、というのは生物一個レベルでは、重要なポイントと言えると思います。空間的な広さと、あと時間軸方向の広さも大事ですね。時代の変化に耐えられず没落する人はよくいますが、それは大体「個人の夢想」を固定された現実のルールだと誤解釈することによって起こります。誤解釈をせずに、現実をありのままにインプットすれば時代が変わっても通用する理を掴めます。

 

②模型を大事にしよう

理を掴んできたら、今度はそれを頭に刷り込んだ状態で、現実に起こった事柄や現象(模型)を全てチェックしていきましょう。模型が実際に出現したということは、それは理に貫かれているはずです。「これって合理的じゃないな?」と思う模型を発見したら、その原因は「あなたの理がヘボい」or「模型を十分に把握していない」のどちらかに仕分けできます。どっちかしかないので、この仕分けは簡単です。理がヘボいとしたら、①に戻って研ぎ澄ませましょう。①が十分である(対象を見切れる自信がある)としたら、「模型を十分に把握していない」が原因だと確定します。ここまできたら、さらにもう一歩進めます。まず「模型において、ある情報を得ていないことによって、あなたの目には不合理に見える」この事実をインプットします。で、あなたには「理」と「不十分な模型の情報」「模型が不条理に見える」の3つの情報が揃っています。ここから、1次方程式を解くようにして、未知のある情報「X」をある程度特定することができます。ある程度特定というのは、「考えられるXの候補をすべて列挙する」ということです。複数列挙なので、「どれが」事実と等しいのかわかりません。そこでさらにもう一歩進めます。「列挙したXのうち、どれがもっとも理に適っているか」をチェックします。そうすると「おそらくXは〇〇だな」と思ったものが、事実と等しくなる確率が上がります。この技術を研ぎ澄ませたものが「洞察力」です。洞察力を研ぎ澄ませるのには「現実に存在している模型」と戯れることが効果的です。

 

③自分が何をやっているのか把握しよう

人間は、過去・今・未来のうち、今しかわかりません。過去は思い出せますが、「過去というコピー情報を思い出している今」のことしかわかりません。なので、自分が何をやっているかについては、「現在進行形で過去のコピー情報を再生し続ける」という方法しかないということです。なんという縛りプレイでしょう。で、ここでも理を用いて、過去から現在を経て未来まで続く模型の動きのうち、本質的な部分だけを再生し、脳のメモリー消費を抑えた再生をします。本質的な部分とは、「その模型対象に潜在している内外への作用能力」みたいな意味です。この再生処理は、言語思考ではないので、言語で説明してもピンと来ません。例えば、「飛行機が飛んでいて、その飛行機がハイジャックを受けて、機長席が乗っ取られて、飛行機が墜落する」この流れを現在進行形で再生してみるといいでしょう。これは誰でもできると思うので、この再生をあらゆる場面、あらゆる模型に対して、実行するということです。スッキリ言えました。しかしながら、自分が何をやっているのかを正確に把握するには、自分と言う模型を再生しなくちゃならず、この自分模型は「客観的に考えて」いますので、客観視の入れ子構造が出現して大変です。自分が何をやっているのか観測ができるようになったら素晴らしいです。今の私はできません。

 

④ちゃんと死のう

人は寿命で死んだり、ケガで死んだり、病気で死んだりしますが、これは壊れて機能不全になってるだけで、ちゃんと「広げた風呂敷を畳めているか」という観点で評価すると、落第です。死んだ後も、骨や肉は土に還り、どこかの生物の一部になったりして生は続行しています。そうではなく、きちんとあなたの発生によって生まれた影響をすべて回収して、死ぬことができるか、それは大いなるチャレンジです。夏だから、暑いから海行って、かき氷食べて、焼きそば食べて、花火して、ゴミ散らかして帰っていくのははっきり言って迷惑です。立つ鳥後を濁さず、自分をコントロールできないのならば「私は私だ」と言う資格はないと思います。言うは易し行うのは難しですけどね。

 

とりあえずこれくらいでしょうか。この教育によって、どういう子供になるのか、私と共通している所もありつつ全く違った特徴もあるような人間になったら、面白いな、と思います。

統一教会への対応

私が統一教会は自然消滅でいいと言っているのは、政治家が行っている票・金集めの基幹システムに関わってくるからです。

 

統一教会との繋がりを是正せよ、となると政治の裏舞台の構造そのものを作り替えなければいけなくなる

 

その代替案が私にはアイディアがないので出せないし、仮にアイディアがあっても実行するのが困難なので、海の波が岩を削るように、少しずつ変わっていくしかないんだろうな、という予想をしています。

 

しかし、この予想は「私は目隠しの状態で勘で言ってるだけ」なので、人によっては統一教会を野放しにする政治家は失格だ、という意見を持つ人もいるでしょう。

 

岸田首相は、「それぞれの政治家が丁寧に説明すべき」と公に言ったようで、つまりこれは自民党としては対応しませんよ、というメッセージということになります。

 

これを受けて、「何もしないのかよ!」と一部批判が出ているみたいですが、建前と本音のうち、建前を額面通りに受け取るのもどうかな、と思います。

 

特に今回は統一教会の落ち度により、安倍元首相殺害まで至っているので、統一教会側に「やりすぎるな」くらいの要望なのか指示?なのかわかりませんが、行っていると思います。

 

その要望なり指示なりを統一教会が、ちゃんと履行しているのをチェックするために、報道機関や、週刊誌や、SNSや使用する媒体はなんでもいいので、活動を監視するという体制を作っていけばいいと思います。

 

政治からの要望&国民が監視する→統一教会が自制する

 

という感じでいいんじゃないかと思います。

 

統一教会には本当に信じ込んでしまっていてもう抜け出せない信者がいるだろうし、その信者を家族にもってしまったために苦しんでいる人もいるようです。

 

信者の家族(被害者)については、最低限度の生活を保障してほしいと思います。

 

信者本人については、統一教会をぶっ壊されたら困るでしょう。それがあるので、トータル的に、統一教会への対応は牽制が好ましいという結論に至っています。

コロナの扱い

朝の情報番組で、元厚労省医系技官の木村もりよ氏が以下の考えを述べたとのニュースを見ました。

 

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コロナウイルスを季節性インフルエンザと同様に見なせば(5類扱いにすれば)、医療従事者の欠員を抑え、病床数を確保できる(一般病床を割り当てられる)ため、現在の2類扱いではなく5類相当に改めるべきだ。

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これってなんかに似てるなぁと思ったら、「ロシア等、ならず者国家からの自国侵略を防ぐために、日本も核武装が必要だ」と思考パターンが似てますね。

 

・現状に問題があると思っている

・どうにかしてその問題を解消したいという強い欲求がある

 

この条件がそろうと、普通の人の頭の中では、想像力が減退し、なりふり構わず目先の藁を掴みがちになるようです。

 

そもそもウイルスの危険度毎に、区分け(1~5類)にして、それに応じたアクションを定義していることは、目先の医療ひっ迫を防いだりするための方法論でなく、危険度にマッチした対応策を当てるという目的のための手段です。

 

「5類にすれば医療ひっ迫は起こらないからコロナウイルスは5類にしよう」という意思決定は意味不明です。

 

コロナウイルスは危険度が低いから5類にしよう」ならOKです。これならばOKというか、これ以外にあり得ません。

 

では、「現在コロナは危険度が低いのか?」というと「危険度は低くない」というのが現状認識としては妥当だと思います。

 

・致死率→ワクチン接種し、重い他疾患を持たない患者なら低い△

・治療薬→ない×

・ウイルスの働きのメカニズム検証→不十分×

・副作用に関する人体への影響度測定→不十分×

 

このように、現状におけるコロナウイルスは「簡単に患者が死ぬわけじゃないけど、正体がよくわからないリスク高ウイルスである」という評価を私はしますし、医療専門家もおそらくそういう評価でしょう。

 

一番怖いのは、この後「時限爆弾式に今後(数十年単位のスパンで)どんな問題が起こってもおかしくない」という点です。そういう意味で、コロナウイルス対応を慎重にするのは妥当だと思います。

 

その辺の居酒屋の酔っ払い客が「コロナなんて風邪だよ、風邪!」と話すのは何も問題がありませんが、医療専門家や、行政府や、政府がこれを言うのは完全にアウトですね。無責任&リスクマネジメント無能力を公に宣言することに等しいです。

 

もし、医療ひっ迫を解決したいのであれば、以下のような言い方が正しいです。

 

「コロナは2類相当で危険度・リスクは高いですが、現状の医療体制では容量越えのため、万全の対応は諦めます。よって、短期的な視点では、感染しても医療を受けられないという事案は頻繁に発生します。中長期的な視点では、コロナウイルスの解析・治療薬開発を急ぎます。今は、みんなの自然治癒能力を信じて、ノーガード戦法でがんばりましょう」

 

つまり「2類から5類に変えよう」ではなく「2類のままノーガードでいこう」が正しい言い方です。

 

政府は、「なんでもやってくれるお母さん」でも「ドラえもん」でもありません。政府はできないことはできないと言う&国民は自分を信じてがんばる、ことをおすすめします。