焼きイモは、「食べたらホクホクして甘いか」どうかが重要です。
そもそもで言うと、サツマイモは、根っことして養分をため込むのが機能としてあります。
以上で、サツマイモ・焼きイモの情報を網羅できているかというと、
まったくできていません。多分、情報の質・量としては、全体の10%くらいしか満たせないと思います。
「なんらかの主格が」
「勝手に」
「サツマイモ・焼きイモの特定の要素(10%)だけに注目して」
「これは優れている/劣っている と判別して」
「感想を持ったり、次の意志決定に繋げている」
という現象が、ありふれています。
これを推し進めると、切り口が荒いザルすぎて、
大海でバタバタ手足を動かして漂うだけになるか、もしくは、
極めて大雑把な乱暴な作用を持ったりします。
なので問題アリなのですが、人間のハード面でいうと、
そういう情報制限は、かなりの強制力を持って作用していますので、
「普通にやるとがばがばのザル泳ぎになっちゃうね」というある程度の諦観も自然になります。
ただ、だからといって、
「自分は、物事の一部の側面だけ見て生きるよん」
という開き直りも、(まあ開き直るのは自由ですけど)、致命的です。
だから「見えないものを見ようとする」チャレンジは、しなきゃいけないんですけど、
技術的に、かなり難しい。
「見えないものを、ある程度の精度を持って、想定する」技術はなくはないのですが、
「検証」ができないので、洗練ができないんですよね。
だから、私は「難しくて大変だし」「精度向上を担保できないから」
その技術は、封印しています。
なので結論としては、「見えないものは、想定するのは困難なため無理っぽい」
ということになるのですが、
それでも、「見えないもの」を無視しないように、「見ようとする」姿勢で、
「見えなくても、見えなきゃだめなんだ」という矛盾を抱えて、
不確定要素がもたらすリスクを常に認識して、ある意味「ビビりながら」、
そういう姿勢でやっていくしかないなぁと私は思っています。
いやー難しい。
おわり